このごろのこと


◯月✕日
最近、芸能ニュースが豊富。Yahoo!をチェックするのが習慣になってしまった。夫も同様で、夫婦でどんどん頭がばかになっていく感じで、危機感をおぼえる。

◯月✕日
何となく招待券の抽選に応募したら当たったので、池上彰さんの特別講演を聴きにゆく。内容はいつもテレビで話しているようなこと。眠くならないようにメモを取りながら聴いていたら、しっかりと頭に刻み込まれる感じがしてよかった。芸能ニュースでふにゃふにゃになっていた脳みそが活性化。池上さんってほんとうに頭がいい人なんだなあと思った。メモとか資料とか全く見ないで話している。こちらへの配布資料も何もない。それなのに正確。それなのにわかりやすい。そしてとっても興味深い。池上さん、マジリスペクトっす。脳みそが活性化するのは楽しいし、やっぱり、こういう知識や教養は必要だ。と、思ったけど、同時に、今の生活の範囲内では、それがなくたって全然生きていけるのだ。とも思う。じゃあ何のために?すこし考えこんでしまう。…私がそれを必要だ、と思うのは、受験とか、仕事とか、生活とか、なんか目的があってじゃなくて、ただ私が個人として、それを欲してるだけなのだ。世界の中で生きてゆくために、じゃなくて、自分が世界としっかりと対峙するために、欲しているだけなんだ。そんな大げさな結論に至って、そうだそうだ。だから何のためになんてどうでもいいんだ。と思って、頑張るぞー!ってなった。

◯月✕日
仕事が繁忙期で、いよいよ忙しくなってきた。一緒に働いてる皆さんとハッスルしてると、なんか一体感を感じる。よっしゃ、頑張るぞー!ってなる。一員、て感じになってくると、前よりも遠慮なく雑談もできるようになる。なんか嬉しい。この仕事を始めて、気づけばもう半年以上だった。

◯月✕日
いつものメンバーで新年会。毎年、新年会は「おいしいものを食べよう」というのがコンセプトだったけど、それなりに人数がいるのでお店を探すのがいつもめんどうで、今年は楽天でふぐちりセット頼んで家飲み。これが最高だったわー。安くておいしかったしお腹いっぱい食べられたわー。ひとりがへんなビジネスに引っかかって大金つぎこんでおかしなことになってたりもして、みんなそいつのことはもうあきらめていて、笑うしかないのだけど、それでも友達であることには変わりがなくて、当然のようにそこにいて、そういう私たちって結構すごいと思う。こういう飲み会、久しぶりだったから、なんかめっちゃ楽しかったな。

◯月✕日
帰省したので、実家の近くに住んでる友達と会う。その友達はちょっとずれてて、近所のお店で会うのに、いきなり着物で現れるのだから驚いてしまう。神楽坂の料亭に行くわけじゃないんだよー。和食ならまだしもイタリアンだし…。派手な顔立ちの美人なので、着物とか着てると玄人感出る。それに比べて、ガウチョパンツとかはいてほっこりしている私であった。

◯月✕日
半年以上試験のためにずっと勉強していた夫。その試験の本番がようやく終わった。ほんとうにお疲れ様。まだ結果も出てないけど、なんだかものすごい開放感で、前向きな気持ちがわいてくる。春も近づいてるしね。とりあえず試験勉強中に蓄えた肉を減らすため、一緒にジム行こうー。今度打ち上げ的な感じで温泉行くので超楽しみ。

考えと意見


 考えの断片は色々あるのだけど、それをつきつめてゆくキャパシティがない日々。ブログの下書きばかりが増えてゆく。とりあえず多少仕事を増やしても家事はこなせることはわかったのでほっとしている。

 私、ブログに何かに対する意見を書きたいわけじゃないんだなあと思う。自分が考えたこと、その道筋をメモしておきたいだけ。それがこれからの自分の人生にとって、とまで書くと大げさかもしれないけど、意味があることだとも思っている。なんというか、口下手を直したいので、スムーズに言葉を発するために、自分の考えを日ごろからまとめておくのはよいことだとブログを書いていて実感している。

 その副産物として、私のブログを読んで何かしらを感じてくれる人がもしいたら嬉しい、という気持ちはもちろんあります。人数は少ないけど読んでくださる人がいるから、個人的な内容のブログでも、継続して書いてゆくモチベーションになる。ただそこに重きを置き始めると、欲が出て、書きたいことも書けなくなったり、とかあるので、そうならないようには心がけている。

 意見を書いて、シェアしたいとか、議論したいとか、はないんだなあ。それがよいとか悪いとかいうことじゃなくて、自分の中に、そういう積極的な意志や強さがない。

(ただひとつ例外があって、不妊の話題についてはシェアしたいという気持ちがある。身近な人に相談しづらいことなので、ネットの情報がほんとうに頼りで、希望になったりもするから。私自身の体験もそういう風になれたらと思うから。でも読む人を選ぶ話題だと思うので、今後そのことについて書きたくなったら、ブログを分けようと考え中。)

 自分の考えがある、ということと、意見をする、ということは違う。対面上のコミュニケーションでは、そりゃそうだって感じだけど、ネット上に公開するとなると、ただ自分の考えをメモとして書いただけでも、意見としてみなされることもある。それは「言葉にしてる」という時点で、当然と言えば当然だよね。でも大抵そこまでの覚悟はなかったりするんだから、線引きが難しい。今日のブログも意見と言えば意見なのかなあ。「つぶやきブログ」とかよくわからないカテゴライズをして、「ただつぶやいてるだけですよ〜」みたいに言っとけばいいのかなあ。うーん窮屈。


 なんて、バレンタイン前日に似つかわしくないことをつらつらと考えてしまった。でも久しぶりにするすると文章が書けたので嬉しい。普段お菓子作りをほとんどしないので、例年バレンタインは1年に1回お菓子作りをがんばる日、みたいになってたけど、今年はスルーしてしまいそうな気配がびんびんする。とりあえず板チョコ1枚は買ってきてみた。家にある材料で作れる超簡単なレシピ、今から探そう。

大丈夫


 今年に入ってから、仕事の前とか、気づいた時に、おまじないみたいに心の中で唱えるようになった。

「大丈夫。私は大丈夫。」

 そうしたら、色んなことがほんとうに大丈夫になってきた気がする。

 漠然とした不安や自信のなさに、自分のコンディションが悪い時は、ふと取り込まれてしまいそうになる。そうすると体がこちんと強張って、頭にもやがかかったようになって、すべての言動がぎこちなくなってしまう。

 でも大丈夫。私は大丈夫。私も、まわりも、別に何にも変わっていない。全っ然問題ない。そんな風に思っていると、腹が据わってくるというか、ぱっくり開いた暗い穴にも、吸い込まれないでいられる。

 先月から仕事が忙しい。いつもより多く入っている。セールで服を買いすぎたから、その分を取り戻して、なおかつ貯金もしたいから、たくさん入っている。

 疲れるけど、仕事がないと、冬は寒くて外に出る気もしないから。引きこもっているよりも、外に出て、働いて、そうしたほうが、ちゃんとした人っぽくて、いい感じだ。

 頭の中は空っぽ。そんな空っぽの頭の中を、ゴシップのニュースで埋めるのもいい加減嫌になって、ワンピースを読み返し始めた。節目ごとに感動して泣いてしまう。ああなんて圧倒的なコンテンツ力。

 頭の空っぽ加減に変わりはないけど、取り急ぎその空白に、簡単で良質なコンテンツをつめこんで、金が欲しくて、働いて、眠るだけ。

 冬の間はそんな感じで、いいかな。色々なことは、春になったら考えよう。

熱狂的なファンとかではなかったのにどうしてこんなにも


 相変わらずSMAPのニュースに釘付けの日々である。暇さえあればYAHOOを開き、新しい情報を探してしまう。その内容がどう見てもジャニーズ寄りというか、「造反組には◯◯のような姿勢が求められる。」みたいな書き方だったりすると、お前誰だよ、と思う。

 月曜日のスマスマの生放送は衝撃的だった。冒頭の、世界にひとつだけの花をバックに、視聴者からのメッセージが紹介される部分の茶番っぷり。その後の5人並んだ姿の、キムタクセンターの違和感。それ以外の4人の強張った表情、言わされている感。かわいそうで涙が出た。後になってネットにあがっていた動画を見直したら、より心にくるものがあった。吾郎ちゃんは比較的落ち着いていたように思えたけど、慎吾ちゃんの目元のくまやコメント中の沈黙や、中居くんのしきりに握り直している手元やあのため息や、最後にいちばん嫌な台詞を言うことになったつよぽんの、全くカメラを見ていないうつろな目。なんて絶望的な光景だろう。

 SMAP解散!?という報道が出てから、前回のブログにもちらっと書いたけど、自分の中に既に当たり前みたいに内面化されていたSMAPの存在の大きさに驚いている。もちろん、嫌いじゃなかった。どちらかというと好きだったし、その中では中居くんが好きで、中居くんの番組はテレビをつけるとよくやっているので見る機会も多かった。でもスマスマはたまに見る程度。SMAPのコンサートなら一度は行ってみたいね、とたまに夫と話していたけど、CDはその昔夜空ノムコウを買ったくらい。申し訳ないけど、その程度だったのだ。(こんなブログを書くのもおこがましいくらいなのですが。でもブログは自分用の日記だと思ってるので、強く気持ちが動いた出来事を記しておきたくて。)

 でも、報道後は、上記の通りニュースに釘付けである。夫も同様の状態で、先週のミュージックステーションのラブソング特集みたいなので5人が歌ってる映像が流れただけで涙してしまうほどの重症っぷりである。なんだろうね、やっぱり、バラエティで活躍してるSMAP、っていうより、SMAPの音楽が好きなんだと思った。今までの自分の人生の中で当たり前みたいに流れていて、口ずさまれていた音楽。それが5人揃って歌われる光景が見られなくなると思うと、ほんとうに寂しくて、解散してほしくない、とつよく思った。

 でも。スマスマを見たら、もういいよ、そんな風に辛い思いをしてまで5人でいなくてもいいよ、ごめんなさい。という気持ちにまでなってしまった。

 翌日(昨日)の朝も、電車の中でYAHOOをチェックして、昨晩のことを思い出して辛い気持ちになりながらパート先の会社に向かった。その日の午前中は忙しくて、息つく暇もないような感じで、その間は頭の中からSMAPのことはすっかりと消え去った。昼休みになって、「朝はSMAPのことで頭がいっぱいだったけど、忙しくしてたらすっかり消え去りました。」と、何気なく隣の席の人に話したら、爆笑されてしまう。ええええ。「そんなファンだったの?」「いや、そんなでもなかったんですけど…」答えながら、しどろもどろになる。「私見てないの。どんな感じだった?」ほかの人に聞かれ、「みんな表情が暗くて、言わされてる感すごくて、公開処刑って感じで、すごく悲しくなりました…」答えると、また別の人が、「いやいや、そこまでじゃないでしょ。とりあえず存続するんだから、良かったじゃない。」と。えええええ。世間ではそんなライトな感じなの〜。私の観測範囲(ネット)では、絶望している人が多数だったのに…。そんで、なんか知らないけど、「◯◯さん(私)って、繊細なんだね。」「優しいんだね。」みたいな感じで話は締めくくられてしまった。そんな〜。

 軽くショックを受けたけれど、仕事が終わればまた、SMAPのことばかり考えてしまう。

 思い出したのは、笑っていいともが終わった時のことで、あの時も、普段いいともをほとんど見ていなかったくせに(まあ仕事してた時は普通に見られなかったんだけど)、それで結局視聴率が悪くなったから打ち切りになったようなものなのに、急にみんなが「タモロス」とか言い出して、自分も含めて、勝手だなーと思ったものだ。それでも最後の1ヶ月くらいは、ぜんぶビデオに録画して見た。

 それで、最終回の、タモさんへのメッセージとして、レギュラーだったSMAPの3人が語ったことが話題になりましたよね。あの時の言葉は、ほんとうにメンバーの心からの言葉だったんじゃないかと思う。だから胸を打たれたわけで。今回のスマスマの生放送が決まった時、「メンバーが自分の言葉で語ることが大切だから」みたいに記事に書かれていたと思うけど、実際は、全然自分の言葉じゃなかった。全然心がこもっていなかった。この間、心がこもっていない言葉はわかる - あの日からのつづきというブログを書いたけれど、あんなにもありありとそれがわかるなんてね。(その分、身体が雄弁に本音を伝えていた気がする。)それをテレビであんな風に放送するなんてね。

 で、タモさんの引き際って、なんだかんだ、理想的だったのではないか。ずるずると続けるよりも。大団円で終わって、その後のヨルタモリも、すきっと終わらせて。でもそれって、なかなか難しいことなんだろうなあ。まあ、SMAPはスマスマの視聴率が下がったとかではないし、事務所との問題だから、事情は全然違うのだけど…。

 こんなことを書くのはよくない、ファンの方々には申し訳ないのだけど、もしも、終わりの時がやってくるなら。もう引き止めたりせずに、いいとも最終回みたいなハッピーな感じで送り出してほしい。もうあんな顔は見たくない。と、心から思う。

 何だかだらだらと脈絡なく書いてしまい、着地点がよくわからなくなってしまったのだけど、そんな感じです。

当たり前は当たり前じゃないの


 当たり前のことって、当たり前じゃなかったんだな。なんて感じる。ベッキーのことも、SMAPのことも、当たり前みたいにテレビに出ている人たちで、好きとか嫌いとかそういう域を超えて、もはやそれが日常になっていたけど、今回みたいなきっかけで、ふいにテレビから消えてしまう時が来るのかもしれない。

 正直に言えば、いつも変わらない顔ぶれに、少し飽きてもいた(それが消えてしまうかもしれないと思うと、急に悲しくなるのだから、ずいぶん勝手だ)。いち視聴者の私がそうなのだから、きっと本人たちはもっとそうだったのではないか。飽きるというか、打開したいというか。そういう気持ちの歪みみたいなものが、あっ、と思った隙に、どんどん大きくなってしまったのかもしれない。

 なんて、遠い世界の出来事を、近くにいる人のことみたいに心配してしまう日々。やっぱり、それくらい、当たり前で、身近に感じられる存在だったということだよね。

 なんか最近、関心があることと言ったら、そんなテレビの中のことばかりで、それもちょっとどうなのと思った。

 積み重ねてゆく日常の姿も、はっきりと像を結ばない。うすぼんやりとした日々だ。

 何をしたいのか、どうなりたいのか。色んな気持ちがあって、それでいいじゃんと思っていたけど、今の自分には焦点化が必要な気がした。