断片

育児だけにまみれた日々の中で自分がどんな人間だったのかをすっかり忘れてしまったので、少しずつ思い出そうとしている今日この頃。

 

星野源オールナイトニッポンにオードリー若林がゲストで出ていたのでradikoで聴いた。自分にとっては普通で、不足もないと感じているのに、周りの人から変だ、足りないと言われて阻害され続けた人生だった。そんな内容のことを2人が話していて、私も全くそんな風に思っていたのだということを思い出した。

 

昔こんなブログも書いていた。

ただ面白いということ - あの日からのつづき

 

今の私は世間的に普通だと思う。阻害を感じることもそうない(専業主婦という立場に感じることはある)。とはいえ基本的にはコミュ障で、喋ろうと頑張りすぎては脳内反省会の繰り返しなので、普通の人っぽく擬態してるだけではある。

 

こうなりたかったような気もするし、幸せなんだろうと思うし、でも実際には今はつまらない。働いてたら違ったのかな。不妊で悩み、授かった時はとても嬉しかったのに。子供のことを憎らしく思うこともあるけど、根本にもちろん愛はある。それでも、それだけでは満たされていない。悲しい。

 

コロナ禍で休校になったりするちょっと前に大学時代の友達と久しぶりにサシ飲みした時、「(私)は内面が深いと思う」って言われて、嬉しかったし、かつて自分でそんな風に思えていた時もあった。阻害されながら、でもそういうちょっと違う自分に、自分らしさを感じていたんだな。でも、今は何もないな、空っぽだし、別に過去だって空っぽだったような気もする。星野源と若林の話に共感はすれど、ポテンシャルが全く違うので少し悲しい。

 

私は自己肯定感が本当に低いんだな。書いていてつくづく思った。あとは今の生活は、インプットとアウトプットが圧倒的に足りてない。時間的にも、エネルギー的にも今は無理だけど、少しずつそれらを増やしていけば、もう少しマシな自分になれるんだろうか。あとは、働くことかな。

 

長女が最近ピアノを習い始めて、実母が電子ピアノを買ってくれることになった。「ばあばがピアノを買ってあげるけど、それは長女ちゃんだけのものじゃないんだからね。次女ちゃんと、ママの、3人で使ってほしくて買うの。ママって本当はとてもピアノが上手なんだよ。だから独り占めしないでね。」実家に行ったら、母が長女とそんな話をしていた。「(私)にも、弾いて欲しいと思ってるのよ」と私にも言った。うん、私も弾きたい。コツコツ練習して、弾けるようになって嬉しくて、楽しくて、そんな自分になりたい。母の話はとてもいいアイデアのように聞こえて、少し希望が見えた気がした。

 

こんな日記を布団の中で書いていたら、次女が横でぶうっと寝っぺをした。大人(夫)がしてたら嫌だけど、子供のそれはクスッとさせられて、可愛い。子供は全部がだだもれで、そのまんまで生きている。接している自分もそのまんまになれるから、だから好きなんだって、大学生の時(幼児教室でバイトしてた)思ってたことも今ふと思い出した。子供が好きってことに自信を持ってた自分が育児にこんなに苦戦するなんて、その時は想像もつかなかったな。