ただ面白いということ


fktack.hatenablog.jp

 こちらのブログを読んで、だいぶ前だけど、友達のバンドのライブに行った時のことを思い出した。そのバンドは、変拍子とか不協和音を多用するような変わった音楽を作っていた。なんというか、体を揺らしてリズムにのろうとしても、おっとっと、ってなって、それを拒否されるような感じの。私は音楽のジャンルにあまり詳しくないので、うまく説明できない。

 その日のライブは、対バンもぜんぶそういう感じのバンドだった。「みんな、どうしてこんな突拍子もない曲が思いつくんだろう。意味がわからない。」と私がうなっていたら、一緒に観ていた別の友達が、「変な曲を作ろうと思って作ってるからだよ。」と言っていて、なるほど。と思った。私は基本的にはわかりやすい音楽が好きで、その延長線上で考えてみても、こういった音楽の意味にはたどりつけないのだ。そうじゃなくて、最初から、そうじゃないものを作ろうとしているのだから。

 私には、そういう発想は、全然なかった。変なものを作ろうと思って作る。変なことをしようと思ってする、とか。逆に私は、自分では普通にしているつもりなのに、変だとか天然だとか言われることがあった。テレビでバラエティ番組を見ていると、ひな壇に座っている芸人、特にポンコツキャラみたいな芸人が、何か話を始めようとするけどうまく話せなくて、みんなにつっこまれて話が途中で終わってしまうみたいなことがよくあるけど、私にもそういうことがよくあった。バラエティではそういうのはおいしい、みたいな感じだけど、私は芸人ではないので、話し通せない欲求不満みたいなものがくすぶってしまったりもして、だからブログなんて書いているのだった。

 話が枝葉にわかれてしまって、何話していたんだっけ?みたいになったり、話がいきなり飛んでしまって、何の話だよ!みたいになったり、そういうのが、つっこまれたり、変だとか言われる要因だと思う。自分の中ではつながっているんだけど、人との会話、その中で交わす言葉、という限られた時間、限られた情報量の中で、頭の中で広げた大風呂敷を、回収できないというか、整理できないというか。日頃から文章を書いていると、頭の中が結構整理されるので、そういうのがすこし改善される。

 で、変わり者になりたいと思ったら、そういうのを、あえてテクニックとしてやるんだなあ。ほんと、頭の回転がよくなきゃできないですね。バンドの話でいえば、普遍的な音楽とか、理論とか、そういうのをちゃんと理解し吸収したうえで、そうじゃない音楽をやる、という感じかなあ。変わった音楽をやっている人で、認められている人は、結局そういう人な気がする。

 ただ、変だとか普通だとかって言葉が私はちょっと苦手で、自分ではみんなと同じと思っているのに、「変!」って言われて笑われたりすると、自分は人と違うのかと、線を引かれているような感じがして悲しかったりした。変っていうのが、普通って言葉の反対みたいな意味合いに感じられるからかなあ。じゃあ、普通ってなんなんだよ、みたいになってしまうし。「変」じゃなくて、ただ「面白い」ってことでいいんじゃないかと思う。違いじゃなくて、個性みたいな受け止め方。と思ったら、fktackさんのブログでも「変わり者というか、面白い人になりたかった」みたいなことが書いてあった。