今年の目標


 最近のマイブームは、何かにつけてコウノドリ(ドラマ)の分娩のシーンの綾野剛の「赤ちゃん出るよー!」的な感じで叫ぶことで、この言葉の汎用性に、どうせならドラマ放映中の盛り上がってる時に気づければ、もっと楽しかったのになあと思う。

 ある日、パスタを茹でていて、その横で夫が洗い物をしていたのだけど、パスタが茹で上がって、シンクで水を切りたかったので、夫に注意を促そうと思った時に、ふと閃いて、あの感じで、「パスタ出るよー!」「水切るよー!(へその緒切るよー!みたいな気分で)」って言ってみたら、妙にはまってて、楽しくて、それが始まり。であった。

 それからは、晩ごはんの呼びかけは、「ごはん出るよー!」になるしね。唐揚げに、「レモン絞るよー!」とかね。塩気が足りなかったら、「塩かけるよー!」とかね。いや、字面だけだとめちゃ普通なんだけど、あの口調で言うと、そこはかとなく楽しくなるんだなこれが。ドラマ見てなかった人にはよくわかんない話で、すいません。

 あとは最近、コロコロチキチキペッパーズのナダルのモノマネもマイブームです。これは旬だから、まだいいよね。楽しいよ。うっかりナダルのLINEスタンプまで買いそうになってる自分がいて、こわいくらいだよ。

 そんなこんなで、モノマネしたり、その合間に大掃除したりしてたら、いつの間にか年が明けていました。昨年の振り返りのブログとか、書こうと思っていたんだけど、なんとなく筆というか、タイプというか、フリック入力というか、がのらない日々でした。というか、書き始めたらすごい個人を特定できるレベルの詳細な話になっちゃって、書くのをやめたというのもある。ふんわりぼかした文章って、じょうずに書けないのです。

 とりあえず今年の目標は、完璧にかっこつけられる人間になることです。

 あの、私、どうしても常日頃から余計なエクスキューズというか、卑下する言葉みたいなものを入れずにはいられなくて、去年からブログを書いていて、自分の文章のそういう部分がなんとなくずっと気になっていました。

 それは性格でもあるし、説明として必要だったり、そういう風に書いたほうが面白い気がする時もあるし、色々なんだけど、やっぱり、自分への自信のなさみたいなものが、どうしても大きいのだとつくづく思います。

 今までもそういう自信のなさをひとつひとつつぶしながら生きてきたように思うのだけど、克服したと思っていても、年賀状なんかを書いていると、ふと、過去の亡霊たちが現れて、苦しめてくる。克服したわけじゃなくて、ただ、物理的に距離を置いて、薄めてきただけだったのかもしれない、と思う。

 それを、これからは、もっと根本的に、つぶしてゆきたい。自信のなさを、克服してゆきたい。

 それで、完璧にかっこつけられるようになりたいっていうのは、照れたり、恥ずかしくなったり、私なんかが…って思ったりせずに、堂々と振舞ったり、言葉を発することができるようになりたい、ってことなんです。最初は形から、かっこつけでもいいから、とにかく堂々と。

 まあ、そんなの一朝一夕にできるものでもなし。このブログでももっとかっこつけた文章を書ければとは思っているけれど、すこしずつそうなっていければ、という感じで、当分は引き続き照れたり恥ずかしがったりしていると思うので、まあ、そんな大きな変化はないかと思います。気持ちの問題。

 そんなことを思った元日の夜。あけましておめでとうございました。今年もよろしくお願いいたします。

結構楽しいです


 日曜の朝のテレビは夫の趣味で(とは言っても私も好きで)いつもドラゴンボール、ワンピースがついていて、そのままワイドナショー、未来モンスターとつけっぱなしになっていることが多い。

 でも私、未来モンスターが嫌いなんですよねー。なんでかっていうと、あのナレーションの声が嫌なんですよ。見たことある人はどんな感じかわかると思うけど、冒頭のタイトルコールからもう嫌で、高めの女の人の声で、吐く息多めで、「羽ばたけッ!未来モンスタァ☆」みたいな感じで、ちょっとイラっとさせられるというか。番組の内容は特に何とも思ってないんですけど。心が狭くてすみません。番組を好きな人が読んでたらもっとすみません。

 で、そのタイトルコールを私がたまに真似して遊んでたんですよね。その番組にたかみなが出てるので、他の番組でたかみなを見かけると夫が「あ、未来モンスターだ。」みたいに言うので、まあ、前フリかな、みたいに受け止めて、その都度親切に「未来モンスタァ☆」って言ってあげてたんですよ。全く似てないんですけど。

 そしたらこの間、「あー、明日の仕事やだなー。」みたいに私が言ったら、夫が、「頑張れッ!未来モンスタァ☆」みたいに言ってきたんですよ。えー、なんでそこで未来モンスター?ってびっくりしたんだけど、なんていうか発言の前向きなベクトルが、ミラモンの雰囲気と合致してて、言いたくなる気持ちは理解できた。それで、めっちゃ笑った。えー!って。だから、嫌いなんだって!って。あと、全然似てないし、男の声でやると気持ち悪いし。

 私、夫と付き合い始めた当初は、夫はとりたてて面白くはない人だって思ってたんですよ。と言うとすごいディスってるみたいだけど、私は、恋愛には安心感がいちばんだと思ってて、面白さは特に求めてなかったんですよね。それに、面白くないけど「面白いでしょ?」って感じでたくさんおしゃべりされるとちょっとやだなーって思うけど、夫はわりと聞き役の相づち上手、みたいなタイプだったので、あまり気にならなかった。

 でも一緒に暮らしてるうちに、面白くなってきた。笑いのツボが合うようになってきた。普段見るもの聞くものが大体一緒だから、嗜好が似てくるっていうのもあると思うし、それより何より、一緒に暮らしているうちに、かっこつけたり、恥じらったりみたいな、そういう殻がどんどんむけてきちゃって、うけなくても、つまらなくても、言いたくなったら言っちゃう、みたいな勢いが出てきたんだと思う。実際、思いついて言いたくなって言っちゃったみたいな親父ギャグも夫はよく言ってきて、しかもめっちゃつまらなくて、「ハァ?」みたいになるけど、夫婦の生活はひな壇の上にいるのとは違うので、それが評価の対象になったりはしないというか、なんだろう…もう磐石な基盤があるから、ちょっとつまらないってくらい何の問題もないっていう感じなんですよね(のろけ。とは言え磐石さを保つためには思いやりとか努力が大切で、それはさぼらないようにしたい)。そういう安心感から、数打てるようになって、その中に当たりが出てくるって感じで、相対的に面白さがアップしてるんだと思います。たぶんお互いに。

 そんな感じで、結婚生活、結構楽しいです。

心がこもっていない言葉はわかる


 最近、仕事で、「まあ別に聞かなくても大丈夫なことだけど、形として聞いておいたほうがいっか」みたいな場面での自分の言葉があまりに心がこもっていないというか、言おうとして言っている感が我ながらビンビンに感じられて、その言葉を発した途端に落ち込んでしまったりする。思っていないなら言うなよ、って感じ。

 それは例えば、退社する時に、先にあがるのを遠慮してる体で「何かやれることありますか?」と聞いてみたりだとか(ほんとうは、やるべきことは終わっているので「帰っても大丈夫だろう」と判断している)。朝、当番制じゃないけど、手があいている誰かが必ずやらなきゃいけない仕事を他の人がやってくれた時に、「あ、お願いしていいですか?すみません。」みたいに一声かけたりだとか(ほんとうは、それを自分がやる時は何とも思っていないので、他の人がやってくれた時はありがたいけど、申し訳ないとまでは思っていなかったり。ありがとうございますっていう方が適切かあ)。

 前提として、今の職場の方々は、みなさんとても信頼できる方々なんですよ。先に帰る人に文句言ったり、自分の仕事を減らすために人に押し付けたり、やらなきゃいけない仕事だけど他の誰かがやってくれるのを待ったり、とか、そうゆう人はひとりもいない。以前勤めていた会社はそんな人ばっかりだったので、こんな環境はほんとうにありがたいなあと思う。

 だからこそ、形だけの声がけなんて、必要ないというか。そういうところで何かを判断したり評価する人はいないから。

 それでも、人間関係の潤滑油的な感じで、言って悪いことはないとは思うんだけど、それが嘘くさく響くなら、っていうか、結局のところ、自分を良く見せようとして、思ってもいないことを言うくらいなら、そうゆうのはもうやめよう。って、つくづく反省したのでした。自戒としての文章。


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 接客とか、電話応対とかも、形だけの、マニュアル通りの言葉って、受け取る側にはわかるよね。その言葉を手順として言わなきゃいけないから、言っている感。

 仕事で結構電話をとるんだけど、「お世話になっております。」「ありがとうございます。」「よろしくお願いいたします。」を言う時には、それなりに心をこめることができていると思う。だって、ほんとうにそう思っているからね。

 でも悩みなのが、電話を切る時の「失礼いたします。」で、これって、自分も電話口のむこうの相手も両方が使う言葉じゃん。どっちが先に言うべきなのか、言われたら同じように言い返しているけど、言った/言われた途端に電話を切られたりするし、言うタイミングとか作法がいまいちよくわかっていないところがあって、うまく心をこめることができない。納得して使っていないというか。みんなどういう感じで使ってるのかなあ。

 まあ、世の中には、言葉の意味に特に納得していなくても、心がこもっていなくても、ほんとうに心の底から言ってます!みたいな感じで言える、接客のプロみたいな人もいっぱいいると思う。それができるなら、意味を理解して、納得したうえで心をこめるなんて、かえって遠まわりなのかもしれないな。

 ただ私はそういうのがそんなにうまくないので、そういうスキルを身につけようとするよりも、だったら遠まわりするほうが自分にとっては楽な気がするので、それを心がけようと思ったのでした。取り急ぎ「失礼いたします。」の意味をググるか。

野菜野郎ども


 早く野菜を使わないと、と思って、暗澹たる気持ちになっている。なんで使わないといけないかというと、野菜が余っているからだ。早く消費しないと、だめになってしまう。先週もじゃがいもから芽が生えてきて、だめにしてしまったのだ。

 私は毎週金曜日に野菜の宅配を申し込んでいて、それは中身が選べない詰め合わせ的なものなので、普段あまり使わない野菜が入っていたりする。私は買い物に行くといつも同じような野菜しか買わなくて、料理のバリエーションがないので、そういうのが好ましい、と思っているところもあるんだけど、すっごくめんどうくさい、という気持ちが最近は勝ってきている。さつまいもとかさー、青梗菜とかさー、なんか別に、使わなくても生きていけるっていうか。青梗菜の青菜炒めとか、好きだよ?好きだけど、実際に作ってみたら、茹でてから炒めるから、超少量になっちゃったの。ちまーって。たくさん食べたいなら、たくさん買わなきゃいけないわけじゃん。でも、ほうれん草とかよりちょっと高い気がするじゃん。だから結局、買わなくてもいいじゃんってなるじゃん。食べたきゃ外で食べればいいじゃん。

 あとはじゃがいもをだめにしてしまった話だけど、じゃがいもはすごいメジャーな野菜であるとは思いますが、私は、皮をむくのがめんどうくさいので、あんまり買わないんである。カレーとかシチューとか、献立を決め打ちして買うって感じかな。「とりあえず買う」ってことはしない。あると重荷なので。まあでも、それでも余っちゃった時は、ポテトサラダにする。レンジでチンして手で皮をむけばいいので楽なのだ。で、そんなじゃがいもが来てしまった。わー重荷、とか思って、でもそのうちポテトサラダにしよう、ポテトサラダにしよう…!と思って、どんどん後回しにしてたら、1週間経っちゃって、そしたらまたじゃがいもの野郎が新しく来ちゃって、ぎゃー、ってなった。で、いよいよ古株のじゃがいも先輩を使わなきゃ、って思って、包んでいた新聞紙を開いたら、芽が生えてた。保存方法が良くなかったのかな…。芽を切り取って調理するのもなんか危ない気がして、ぜんぶ捨てた。野菜を無駄にした、つまりお金を無駄にした、と思って、すごく悲しくなってしまった。新入りのじゃがいも野郎は、すぐに肉じゃがにしました。

 そんなにストレス感じてるんだったら野菜の宅配やめればいいじゃん、って話になるかもしれないけれど、買い物に行く回数が減るので、圧倒的に楽なのだ。スーパーがさほど近くないし、車もないので(夫が通勤に使ってる。あってもひとりで運転できない)。あと、宅配野菜は値段としては割高なんだけど、家計簿を見ると、全部スーパーで買ってた時と比べて、食費が高くなったということは特にないのである。たぶん、ちょこちょこスーパーに行くと、ちょこちょこ無駄なものも買っちゃって、結局食費がかさんでたりするんだよね。そういう色々な状況を天秤にかけたら、野菜が余ってるっていうストレスの方が軽い、というか。

 はあ、でも、明後日にはもう新しい野菜が来ちゃうので、もう今日こそは。ごぼうの野郎を、調理しないと。ごぼうも、固くて切るのが面倒なので、あと、どこまで洗えばいいのかわからなくて不安になるので、なかなか自分では買わないんだよね。あと白菜もあるので、とりごぼう鍋にでもしようかなあ。はあ。

猛烈にかわいくなりたい


 なんでしょうね。今期はドラマを私にしてはたくさん(と言っても3本)見ています。基本的に雑音が苦手なので、テレビをつけっぱなしにする習慣がなくて、あと今新聞とってなくてテレビ欄もチェックしてないから、番組改編期に気づかず、いつも新しいドラマとかさらーと見逃しちゃって、そうするともう途中から見るってことないんですよね。ストーリーを追うのがめんどくさいから。だからほんとは「あさが来た」もめっちゃ気になってるんですけど、今からストーリー追うのがめんどいから、もうたぶん見ない。

 でも今期は、ドラマを、見てます。なんでかというと、普通に、昼休みの話題のためですね。今の仕事は、ひとりでごはんってことができなくて、必ずみんなでひとつの机を囲んで食べる感じなので。話題についていけないとめっちゃつまらない。あと、ドラマを見ること自体は好きなので。そういう日々の楽しみがあるって、幸せなことだし(あまちゃんにはまってた時の幸せ感は尋常じゃなかった)。ただ、上に書いたようにさらーと見逃しちゃうので、今期は、かなり、見逃すまい!!とアンテナをビンビンに立てて、チェックしました。でもそんなにたくさんはカバーできなくて、まあ、3本くらいでちょうどいいですね。ほんとは5本くらい見たくて、サイレーンと相棒も録画してあるけど、たぶん見ないまま終わるでしょう。オトナ女子も最初見かけたけど、あの、斎藤工の濃厚ラブシーンみたいのにさぶいぼ的な感じがあって、ちょっと顔も濃厚すぎるので苦手で、脱落しました。本筋とはあんまり関係ないとこだったと思うけど。

 で、今見てるのは、5時から9時までと、コウノドリと、下町ロケットコウノドリ下町ロケットは夫婦ではまってて、コウノドリは毎回泣いてるし、下町は毎回スカ〜ッ!っと気持ちよくなってます。で、5時から9時までは、ひとりで見てます。で、前置きが長かったんですけど、ここでようやく、タイトルの話ですよ。猛烈にかわいくなりたい。という気持ちがわいてくるんです。石原さとみちゃんを見ていると。なんだろうね、もう、あざとすぎるんですけど、フェロモンの塊っていうか、ああこんな顔に生まれたかった、こんな顔に生まれてたら人生最高だった……!とか思っちゃいますね。どの角度から見ても、静止画でも、かわいくない瞬間がなくてすごい。メイクとかアクセサリーとか服装とかもかわいすぎて。さとみじゃないと似合わない気もするけど。ほとんどさとみを見るためにドラマを見ている感じです。

 結婚して、恋愛とかもうすることないだろうし、もう30歳もすぎたし、それでも、湧き上がってくるこの気持ちは。さとみに刺激されて。まだ、あったんですね、自分のなかに、こんな欲望が。わりと不要な欲望。めんどくさい欲望。

 まあ、見た目に気を遣っとくのは、世間的にも、夫婦間でも、多少は大事だとは思ってて、服を考えるのはわりと好きだし、出かける時は最低限のメイクはするし(というかしないとやばい)、部屋着とかもわりとファッショナブルめなやつを選ぶようにはしてるし(ドラマで石原さとみちゃんは高校ジャージみたいの着てますが、さとみだからかわいいのであって……)、家で着替える時とか隠れて着替えるようにしてる。まあそれは見た目に気を遣っとくって話とちょっとずれてるけど、ほんとは大して恥ずかしくもないけど、なんか、恥じらいっぽいの大事かなと思って、堂々と着替えないようにしている。でも夫は最近そういうのをすっかりと失ったみたいで、パンイチの姿をお見かけすることが増えてきた。そんな夫のことを、親しみをこめて、「パンいっつぁん」と呼んでいる私です。

 でもとにかく私はめんどくさがりなので、あと、朝が弱いんで、メイクや髪型に時間かけたりする余裕がまったくなくて。不器用だし。楽なほうに〜楽なほうに〜ってどんどん流れていきがちではあって、でも、さとみをカンフル剤にして、そんな自分に喝ってなもんで、頑張ろう、とか思ったりして、まあ、そういう多少の頑張りは大事だけどやっぱり、欲望としては、不要だし、めんどくさいなと思います。だからってさとみになれるわけでもないし。

 それでも、さとみの唇にあこがれて、Diorのリップマキシマイザーまで買ってしまった私に幸あれ。


<追記>

 短歌思いついた。

 くちびるをつやつやにする だからってさとみになれるわけでもないし

 猛烈にかわいくなりたい だからってほんとになれるわけでもないし