当たり前は当たり前じゃないの


 当たり前のことって、当たり前じゃなかったんだな。なんて感じる。ベッキーのことも、SMAPのことも、当たり前みたいにテレビに出ている人たちで、好きとか嫌いとかそういう域を超えて、もはやそれが日常になっていたけど、今回みたいなきっかけで、ふいにテレビから消えてしまう時が来るのかもしれない。

 正直に言えば、いつも変わらない顔ぶれに、少し飽きてもいた(それが消えてしまうかもしれないと思うと、急に悲しくなるのだから、ずいぶん勝手だ)。いち視聴者の私がそうなのだから、きっと本人たちはもっとそうだったのではないか。飽きるというか、打開したいというか。そういう気持ちの歪みみたいなものが、あっ、と思った隙に、どんどん大きくなってしまったのかもしれない。

 なんて、遠い世界の出来事を、近くにいる人のことみたいに心配してしまう日々。やっぱり、それくらい、当たり前で、身近に感じられる存在だったということだよね。

 なんか最近、関心があることと言ったら、そんなテレビの中のことばかりで、それもちょっとどうなのと思った。

 積み重ねてゆく日常の姿も、はっきりと像を結ばない。うすぼんやりとした日々だ。

 何をしたいのか、どうなりたいのか。色んな気持ちがあって、それでいいじゃんと思っていたけど、今の自分には焦点化が必要な気がした。