シンプルな力強さ(ハンバートハンバート「FOLK」)


 最近ハンバートハンバートの「FOLK」ってアルバムを買った。

FOLK(初回限定盤)

FOLK(初回限定盤)


 ハンバートハンバートの音楽は、朴訥とした明るい歌声と調べにのせて、ただただ悲しいだけのことを歌っていたりして、(明るい曲もあるけれど、私が初めて聴いたアルバムが「まっくらやみのにらめっこ」だったから特にその印象がつよいのかも)、そういうところが好きだったりもしたのだけど、今回のアルバムにはそういう感じはなかった。シンプルで潔く、力強い曲たち。それはそれでまた、とてもよかった。

 今月初めに「頂」っていう静岡のフェスに行ったのだけど、ハンバートハンバートも出演していて、夕暮れから夜にかけての時間帯で、明かりを消したステージにキャンドルをたくさん灯して、お客さんはみんな座って聴いていた。(「キャンドルステージ」っていう企画だった。)


 ハンバートハンバートのパブリックイメージは、ほっこり系、今回のようなキャンドルを灯したステージで、お客さんがシャボン玉とか吹いちゃうような、そんな感じなのかもしれなくて、(ステージはめちゃよかったけどね!)(あとはアセロラ体操の歌のイメージも強いかもね)、でも佐藤さんは、それを今までなかなか受け容れられなかったのかも。と、このインタビューを読んで思った。

ハンバート ハンバート「FOLK」インタビュー (6/7) - 音楽ナタリー Power Push

 でも、べつにいいじゃん!それはそれで、ドカンとやっちゃえばいいじゃん!みたいな、よい意味での開き直りが感じられるアルバムだったと思います。


 何せ私も、このアルバムを聴いてたら久しぶりにギターを弾きたくなった。海外赴任に帯同した時に、むこうで退屈したら練習するかな、と思って、小さな安いアコギを買ったのだけど、今まで数えるほどしか触っていなかった。まあもともと大したモチベーションもないからしょうがないんだけど、いわゆる「弾き語り」みたいなので、弾きたいなーって思える曲も思い浮かばないなかったんだよね。な、長渕とか?ないない…みたいな。

 だけど初めてくらいに、コレコレ!こうゆうのやってみたい!って感じがしました。親切なことに、アルバムの歌詞カードには全曲コードが掲載されている。まあ、実際に練習するかはわからないけどね!


 ちなみにこのアルバムは、12曲中5曲がカバー曲なのだけど、その中の「N.O.」という電気グルーヴの曲の原曲を知らなかったので、探して聴いてみた。


N.O. - ハンバート ハンバート


Denki Groove - N.O. [Live at FUJI ROCK FESTIVAL 2006]

 何コレめちゃかっこいい…!このフジロックの動画、最高すぎる…!!思わずひとりで踊ってしまった。おはずかしい。動画をPCの全画面表示にして、部屋を暗くして踊ると、フェス気分に浸れます。

(先週の土曜日に書いたやつ)


 眠い、眠い。昨日夫が飲み会で酔っ払い気味で帰ってきたと思ったら速攻寝たのだけど、ものすごいいびきで眠れなかった。夫は元々いびきがうるさい人で、本人もそのことを気にしていて、いびきをおさえるためののどちんこを短くカットする手術まで受けていて、それで普段はだいぶましになったのだけど、酔っ払うとのどもとがゆるむみたいで、いびきが復活するのだ。

 最近夜寝付けない。私は寝つきが悪くて、心配ごとがある時は次から次へと頭の中に物思いが浮かんで、そんで今の時代はスマホなんかが枕元においてあるせいで、心配ごとの解決方法などを検索し始めてしまうともう、止まらない。眠れない。だったらスマホを遠ざければいいのだけど、目覚ましに使っているので、枕元という定位置からは動かせない。そういう日々が続くと生活リズムが乱れて、日中変な時間に寝てしまったりして、ますます夜眠れなくなる、悪循環。に、最近もまたはまってしまっていたのである。

 そんで、私は物音にも敏感なほうである。他人の独り言、鼻息のスピー音、食べる時のクチャ音、試験で隣の席に座った人がやたらに大げさにシャーペンを走らせるカッカッ音、田舎のヤンキーが夜中に鳴らすバイクのバカみたいなブンブン音、などなど、苦手なものは多々あって、あーあとテレビの流しっぱなしも苦手。場にそぐわないBGMも苦手。以前携帯ショップで説明を受けているすぐそばのスピーカーから、ガンガンにB'zが流れてきててね、B'zは嫌いじゃないんだけど、あれはもう空間の主役になっちゃう音楽だから。何かを説明される時のバックミュージックには全くそぐわないから。意識がぜんぶ持ってかれちゃってね、稲葉さんのハイトーンハイテンションボイスに。そんで全然説明が耳に入らなくて困った。とにかく、耳に入ってくる音ぜんぶに敏感に反応してしまって、聞き流すっていうのがじょうずにできないのだ。

 で、最近夜寝付けなくて生活リズム乱れてるのが辛くて、でも翌日仕事だから、今日こそはしっかり睡眠とりたい!これを機にリズムを正したい!って、昨日は23時くらいから布団入ってたんですよ。それなのに23時半頃帰ってきた夫が、酔いに任せて瞬発的にワーッと騒いで私の眠りを妨げたくせに、自分は即眠りについて、ものすごいいびきをかいてるわけで。もちろん私、他人のいびき音もめっちゃ苦手なわけで。

 そんで、うるさいやら眠れないやら夫が憎いやらでほんとうに辛くなってしまって泣いた。泣きながら寝た。結局3時間くらいしか眠れなくて、今日の仕事はめっちゃ辛かった。それだけです。

みんなおめでとう


 お久しぶりです。気がつけば妊娠5ヶ月目、安定期に入っていました。ある時急に気分が晴れ晴れとして、やる気とか、好奇心とか、食欲とか、明日への希望とか、つわりに苦しんだ灰色の日々のなかで、すっかり遠くなっていた、前向きな気持ちが諸々戻ってきて、ああ、普通の状態って、こんなだったんだ…!何でもないようなことって、幸せだったんだ…!って、しみじみ思いました。

 以前友達が、「安定期に入ったら猛烈に食欲がでて、毎日ケーキを焼いてた」なんて話してるのを聞いて、フム~ン、手作りすごいナーなんて他人事みたいに思ってたんですけど、私も安定期に入った途端、猛烈に甘いものを欲し始めて、あと、塩分がちょうどいいのかな、ご飯よりもやたらにパンが食べたくて、埃かぶってたホームベーカリーをいきなり毎日のように稼働させてパンやらケーキやらを作りまくり始めて、なんか今まで全然興味なかったのに手作りパン教室とか行きたいナーとまで思い始めて、「ああ、あの時あの子が言ってたのはこういうことだったんだ…!」って実感している今日この頃でございます。

 友達にも、会った人や、たまたま連絡が来た人なんかには、ぼちぼち報告し始めて、職場でも、ようやくみなさんに報告することが出来て。そうしたら、周りから、「実は私も◯ヶ月で…!」という声が次々にあがって、驚く。

 
 わー、やっぱりそういう年頃だよなー、これがラッシュってやつなんだなー、と思って、なんかみんな妊娠してるし、私の妊娠ってべつに特別なことじゃないんだろうなーって、一瞬さびしくなったりもして、そんな自分の思考回路に、結構うんざり。ばかじゃないのー、元々特別なオンリーワンだって、あんなにも歌に歌われているっていうのに、この期に及んでまだそんなこと思っちゃうなんてね。

 短い期間ではあったけど、不妊で悩んで、ようやく授かって、喜んだのも束の間、つわりでオエオエ苦しんで、その最中には、そういった諸々のことを、人に話せずにいた。子どもができないかもしれない。できても、流産してしまうかもしれない。そんな不安ばかりが大きくて。

 でも今、それらの段階を何とか乗り越え、ようやくハッピー☆マタニティライフがやってきた!って感じがして。「今まで辛かったよー!」って人に話したくって、「辛かったねー!がんばったねー!」って、人に言ってもらいたくって。そんな気持ちが急に、爆発してしまったみたいだ。

 いやいや。私だけじゃなく、それぞれの人にそれぞれの事情があって、きっと色んな段階を経て、今がある。そんなあらゆるパターンぜんぶ、忖度してもらうことなんてできないよ。みんなおめでとう。みんなよかったね。それで十分だ。それだけでいいじゃないか。全くもう。

 これまでの労いなんていらない、今、ハッピーなんだから、ひとまずそのことを喜ぼう。まだまだこれから臨月やら出産やら育児やら、色々な大変なことが待ち受けているんだろうから、その前のちょっとした中休みだ。楽しむよ。

友達に会いたい


 友達に会いたい。って、ずっと思ってた。最近。

 つわりで体調は常に低空飛行で、乗り物に乗ると吐き気がこみ上げるので、誰かを誘ってまで出かける勇気は出ないのだ。でも会いたい、会って色々話したい。もしも人から誘われれば、きっと吐き気を押して、がんばって出かけられる。

 去年は4月の初め頃に帰省する用事があって、ちょうど桜の時期に重なったから、友達数人に声をかけて、お花見に行ったのだ。桜の下で、ビールを飲みながら、デパ地下で買い込んだ美味しいものを食べて、楽しかったな。でもやっぱりすこし寒かったから、次回のお花見はカセットコンロを持ち込んで、外鍋したいね。なんて話してたんだよね。私は肉係、○○は野菜係、△△は〆のうどん係、ってな感じで、それぞれ材料を持ち寄って。そんなの、絶対おいしいし、絶対楽しい。そんな話が出てたから、今年もみんなでお花見できるんじゃないかって、ちょっと期待してたのだけど、社会人の通例で、口先だけで終わってしまった。元気だったら、今年もまたみんなに声をかけたかったけど、今は受身でしかいられないのだ。

 今年は夫とふたりでお花見。それはそれでもちろん、楽しいんだけどね。近所に、最高の桜スポットを見つけたのだ。川沿いに、ずーっと桜並木。川原には菜の花も植えられていて、黄色とピンクのコントラストがきれい。すてきな風景を見ると、心がすーっとする。

 夫は優しい。つわりで冷蔵庫と台所の匂いがすっかりだめになってしまったのもあり、この1ヶ月私はほとんど料理をしていない。夫が買ってきたり、作ってくれたり。とてもありがたいのだけど、夫は料理のセンスがあまりなく、だけど私の栄養を考えて、工夫して色々と作ってくれたりする。でもちょっとイマイチな感じで、食べられなかったりもする。そんな自分がふがいなく、申し訳なく、泣ける。思うように体が動かず、イライラしてしまう日もある。でも夫はいつも優しく話を聞いてくれる。ありがたい。

 妊娠のことは夫と親にしか話していなくて、近頃は小さな小さな世界で、つわりの気持ち悪さをこらえながら生きてた。仕事は変わらずしていて、通勤で電車に乗るのはいつも辛い。でも仕事をして、無理にでも外の世界に出たほうが、すこしはましなのだった。それでも、それだけじゃ足りなくて、友達に会いたかった。何にも考えず、何の気も遣わずに、どうでもいいことを話して、笑ったりしたかった。

 昨日の夜急に、友達から電話がかかってきた。ちょっとした用事で、来月会うことになった。

 電話がかかってくる直前まで、気持ち悪さに苦しんでいたのだけど、友達と話していたら、それはすーっと遠ざかっていった。(しばらくしたらまた戻ってきたけど。)楽しみな予定ができたら、心に風穴があいたみたいに、すこし前向きな気持ちも湧いてきたんだった。

死に向かってゆく

 

 大げさなタイトルだけど、ドラマの話。大河ドラマの「真田丸」が面白くて、三谷幸喜つながりで興味を持って、10年以上前の「新撰組!」のDVDも見始めている。

 私は文系なんだけど、大学受験では世界史選択だった。日本史も学校の授業で一応習ったけど、先生が面白くなかったし、全然興味がわかなくて、テスト前しか勉強しなかったので今ではすっかり忘れた。

 私は自分の無知を恥じているので、機会があったら日本史を勉強し直したい…という気持ちはずっとあって、でもまあ気持ちだけでめんどうくさくて行動にうつしていなかった。だから今、ドラマを通して日本史に興味が湧いて、wikipediaで調べたりなんかしている自分がちょっと嬉しかったりする。(でも所詮wikiる程度。)

 で、タイトルの話だけど、大河ドラマは歴史の話だから、結末がはっきりしていて、それに向かってゆく過程を描くものなんだよね。今更ながら。

 で、「真田丸」も、「新撰組」も、ある意味「歴史の中で敗者として散ってゆく」人たちが主人公なんだよね。そこで咲かせた一花が美しかった人たち。(とか、まだドラマを見ている途中でよく知らないくせに、かっこつけた比喩を使う。)

 だから、ドラマを見ながら、この人たちはやがて敗れて、死に向かってゆくのだと思うと、いつも悲しくなってしまう。そこは変えようがないのだから、過程を存分に楽しめばいいのに。それに、散り際の美しさをどのように描くか、それはドラマの最後にして最大の見せ場なんだから、楽しみに待っていればいいのに。でも悲しくて、そんなところ見たくない!と思って、辛くなる。一話分楽しく見終えた後も、いつも考えがそのことに帰結してしまい、無駄に落ち込んでしまう。嗚呼なんてエネルギーの無駄遣い。

 特に新撰組とか、近藤勇、最後打ち首だし。いやだよー。山南敬助、今見てるあたりではみんなで和気藹々としてるけど、結局新撰組脱走して、切腹しちゃうみたいだし。悲しいよー。

 つまりそれほどに登場人物たちが魅力的で、すっかり好きになっちゃってるってことなんだよね。だから三谷幸喜すごいねーうまいねーって、結局結論はそこに至ってしまうのだけど。

 まあ、よく考えたら私たちも、自分の人生っていう物語を今生きていて、それは死という結末にむかっているのだった。その結末は変えようがないけれど、その過程を、どう生きるか。どういう物語を描くか。っていうことなわけで、私だって自分の人生っていう物語の主人公であり脚本家でもあるわけで、まあ、三谷幸喜ばりにいい脚本を描けるようがんばるよ。っていう、壮大な結び。

 つわりが辛くなってきたよー。