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日記


母体の産後健診で、娘を親に預けて外出。終わった後、久しぶりにひとり、カフェでお昼を食べている。

平日の昼間のカフェ、というか喫茶に、たまに定年後と思しきおじさんのふたり連れとかがいる。がやがやと、結構楽しげに喋りまくっていることが多い。こういうおじさん達はきっと、お酒をあまり飲まないんだろうな、とぼんやり思う。

そういえばわりと仲が良かった大学のサークルの後輩の男の子はお酒がほとんど飲めず、たまに何人かで遊ぶとがっつりご飯→カフェで延々とお喋り、というのが定番だった。お酒を飲まなくて、カフェが好きな男性は、きっとお喋りが好きなんだ。と勝手に結論。その後輩の結婚式の二次会には、つわり中で行けなかった。もうきっと、以前みたいに遊ぶことはないんじゃないかと思う。お祝いを渡したいけど、次に会うのは一体、いつになることやら。

妊娠して産婦人科に通った日々も、産後の入院生活も、授乳室の、みんなが胸をあらわに授乳しているあの独特の雰囲気も、先日初めて行った母乳外来も。ああなんて、女だけの世界だ。そして、男性とはきっと、分かちあえない。体がこんなにも伸び縮みするなんて、思わなかった。妊娠中はゆっくりと、だったけど、産後のそれは急速だった。お腹がしぼんでゆくと思ったら、胸がぱんぱんになった。そしてそれは痛みや出血を伴うものだった。そんなの、わかれない。当たり前だ。

もちろん、想像することはできる。思いやって、優しくしあうことはできる。それだけで十分だ。ただ、男と女は違う、という当たり前の事実を改めて実感している。

授乳中など暇なので、録画したドラマをよく見ている。真田丸と、朝ドラと、逃げ恥と、織田裕二のやつ。星野源も、ディーン藤岡も、良さがちっともわからない、とか思っていたのに、まんまと好きになっている。ちくしょう。星野源の「恋」の歌詞をよく読むと、何だかじんわり沁みてくる。

今のこの時期を、気持ちを、体に刻みつける。ドラマの映像や、主題歌や、そういうものに、何年か後たまたま触れた時、きっと今のこの記憶がありありと蘇ってくるんだろうなと思う。そういうイメージを、体の中に、たくさん持っていたいんだ。だから今面白いドラマがやっていて、よかった。

「ぶたさんみたいなピンク」

日記


赤ちゃんには、変に凝っていない、赤ちゃんぽい色の服がよく似合う。産まれた子は女の子なので、ついついこういううすいピンクの服や小物ばかりを集めてしまう。昔大学のサークルの女の先輩が、こういうピンクの事を「ぶたさんみたいなピンク」って表現してて、なんかかわいいなあと思ったことを思い出す。

赤ちゃんのいる生活が始まった。私自身は何にも変わってないよ。でも、抱っこして、授乳して、オムツ替えて、沐浴させて、そんなことしてる私を誰かが見たら、もうすっかりお母さんしてるみたいに見えるんだろうか。

娘は予定日の2週間前に産まれたにもかかわらず3000gちょっとあって、髪の毛もふさふさだった。当たり前だけど、小さな指先1本1本に、きちんと爪も生えていて、こんなちゃんと人間の形をした赤ちゃんが、自分のお腹の中に入っていたなんて、不思議で。

今もまだ、不思議。妊娠してからこれまでに色んな不安があったけれども、こうして母子ともに無事で、産まれてきてくれたこと。どっしりとよく眠り、お腹をさわれば温かく。週を追うごとに食欲が増し、泣き声も大きくなり、私の肉体疲労は蓄積してゆく一方だけど、でも、寝顔を眺めていると、こんなにも幸せなこと。

カウントダウン

日記


計画無痛分娩で、再来週産む予定を組んでいたのが、来週に早まることになった。赤ちゃんの心拍と胎動をはかる検査をしたらあまり元気がなかったのと、私自身も血圧が高くなってきて、早く出したほうがいいと先生に言われてしまったのだ。

急にあと数日で出産することになって、気持ちがまだ追いつかない。私、お母さんになるんだな。びっくりだ。

もう37週をすぎて、いつ産まれても大丈夫、というところまでは来た。子宮口が開いていて、早産の恐れがある、と言われてから2ヶ月。無事ここまで来れて、よかったな。里帰りしてからは、ずっと自宅安静で、横になってばかりいた。静かで退屈な日々だった。でもまあ、穏やかな日々でもあったかな。

SNSを見るのをすっかりやめて、それはよかったと思っている。一足早く、近しい友達にも赤ちゃんが生まれて、SNSにアップされた写真に数百のイイネ!が集まっているのを見て、私もぽちっとイイネを押して、それから、見るのをやめた。気持ちが数値で可視化されて、それが評価につながるような、そういう土俵に、自分というか、生まれてくる赤ちゃんをあげるのは、やめようと思ったのだ。私は弱いから、どうしても人と比べてしまうだろう。そんなの赤ちゃんには関係のないことなのに、かわいそうだもんね。自分の物差しを信じて、子育てできればいいな。

37週をすぎたら、お腹の張りをおさえる薬も、もう飲まないでいい。子宮口がまだカッチカチの人なんかは、むしろお腹をどんどん張らせて、お産を促進させたほうがいいらしい。私ももうどうにでもなれ!という感じで、今日は久しぶりに朝から夕方まで出かけた。と言っても車に乗ったり、椅子に座ったりしてる時間が大半だったのだけど、こんなに長い時間横になっていないのは、久しぶりだった。

案の定お腹はずっと張り張りで、ちょっと苦しいし心配になったけど、デパートのおいしいレストランで両親とランチして、よそゆきのベビー服も買ってもらって、気持ちはすっかり満たされた感じ。思い残すことは、もうないかな。いや、でも、焼肉も食べときたいなあ。ベビー服もほんとはもうちょっと、見たかった。まだ数日あるから、実現できることはさせときたい。

無痛なので、痛みへの恐怖は少なくて、まだよかった。生まれたらあとはもう、目の前の現実と向き合うだけだ。いっぱいいっぱいで、余白のない日々も、それはそれでいいんじゃないか。今までが余白がありすぎた気がする。

楽しみだな。早く会いたいな。無事に元気で、生まれてきてね。待ってるよ。

投げっぱなしのコミュニケーション

日記


投げっぱなしで気にしないこともできないし、かといって、すべてのボールを拾って、投げ返すほどの体力もなくて、だから今は、すべてにおいて、クローズドな感じでいる。

妊娠9ヶ月ももう後半で、お腹がどんどん大きくなっていく。動くとお腹が張って苦しいけど、動かないととても退屈。でも、産科からゆるめの自宅安静指示が出ているので、やっぱりできるだけ動かないほうがいい。産まれる前に、ちょこちょことやりたいなと思っていたこと(医療費控除のための資料をまとめる、7月の旅行のアルバム作る、お下がりでもらったチャイルドシートとかをきれいにするなど)なんて、なんかもうできそうにない、座りっぱなしの作業もきついし、何よりやる気が起きない。赤ちゃんの服の水通しもまだできてない、晴れた日に布団や大量の洗濯物を干すだけでだいぶ気持ちがすっきりしそうだけど、そういう作業ももう、できそうにない。

もう少し、できるだけお腹の中にいてね。肺が完成するまで、あとちょっと。でも本音は、もう産んじゃいたい気持ちもあるよ。どんどんお腹が大きくなって、胃がせりあがって、苦しくて。

私はあと1ヶ月くらいだからまだいいけど、切迫で半年入院とか、それまで全くの健康体だったのにいきなりそんなことになってしまった妊婦さんは、ほんとうに大変なんだろうなあと思う。そんな世界、知らなかった、今まで。妊娠初期の不安や、つわりがあんなに辛いのも知らなかったし、33週まで大きなお腹で働くとか、私だったら張りが頻繁になってしまってきっと難しかったし、こんな風にただ横になって、一見だらだらしてるだけみたいな心の中で、早産の不安と戦っていることも。安定期は元気で、たくさん楽しいことをできたので、それはよかったなあ。

遠くにいる夫と毎日電話する。夫は新しい環境、外人だらけの、独居房みたいなとこで暮らして、毎日英語の授業を受けて、くたびれてる。不安だよね、疲れるよね。でも自分が選んだ道だよね。って言いたい気持ちを、がまんする。そんなこと言われたって、やる気をそがれるだけで、なんの励ましにもならないよね。

横になってスマホばかりをいじっていたら、腱鞘炎気味になってしまって、姿勢が難しくて本も読みづらいし、もうテレビ見るくらいしかないけど、テレビがつまらない。来月からAmazonプライムの本会員になるから、そしたらいっぱい動画見られるかな。真田丸だけは見ていて、毎週泣いてる。ついに昨日パパが死んじゃって、今日もその寂しさを引きずってる。この1年、毎週わくわくしながら、真田丸を楽しみにしてきた。終わったら、それに代わる存在がまた、出てきてくれるのかしら。子育てでそれどころじゃないかしら。

胎動はドカドカ、すごい。大きめの気がするし、きっと元気な子が生まれてくる。そうであることを、願ってる。早く会いたいな。

里帰りの日

日記


里帰りの日、私は夫が運転する車の助手席に乗って、夜の高速道路を走っていた。私は車のことをよくわからないのだけど、SUV車というのだろうか。後部座席を全部倒すと、トランクとの間に仕切りがなくなり、荷物をたくさん入れられる。事情があって1年間実家にいる予定なので、持って帰る服やら何やらの段ボールが、車にはたくさん詰め込まれていた。妊娠8ヶ月を過ぎた頃から、急に体が重たくなって、しかも子宮口が少し開いているからできるだけ安静に、と健診で言われてしまったものだから、私は動いたり、重いものを持ったりを避けている。荷物を詰めるところまでは、ふうふう言いながら何とかやったけれど、その移動や積み下ろしは全部夫がやってくれた。ありがたい。

車に繋がっている古いipod classicは、私が10年前くらいに買ったやつだ。まだ何とか動く。その中には夫好みの音楽はほとんど入っていないのだけど、車に乗る時はいつも気を遣って、運転する夫の好みに比較的寄り添える音楽を選んでかけていた。でもその時は、自分が聞きたい音楽をかけたいなあ、と思って、ふと懐かしくなって、ある時期にとてもよく聞いていた、RCサクセションのsoulmatesというベストをかけた。

初めはだまってキヨシローの歌声に耳を傾けていたのだけど、トランジスタ・ラジオが流れてきたら、ついつい口ずさんでしまう。平易な言葉遣いなのに、なんて素敵な歌詞なんだろう。でも、平易ではあるけれど、言葉の使い方も、歌の歌い方も、シャウトのしかたも、全部が全部キヨシローでしかない。キヨシローはいつだって、完璧にキヨシローだったんだなあ。ふとそんなことを思う。

夫としばらく離れて暮らさなくてはいけないこと、頭で納得はしているけれど、やっぱり寂しくて、何となく、ヒッピーに捧ぐが聞きたかった。そう、ほんとうは最初から、この曲が聞きたかったんだ。

「お別れは突然やってきて
すぐに済んでしまった
いつものようななにげない朝は
知らん顔してぼくを起こした」

これもまた、なんて素敵な歌詞なんだろう。キヨシローが亡くなった日、友達がツイッターで、今泣きながらこの曲を聞いてる、ってつぶやいてたことを思い出す。私もこの曲をきいて、この寂しさの中にどっぷり浸かりたいって、思っていたのだけれども、なんだか音源の音が悪くて、曲の最後のほうはゴチャッとした感じに仕上がっていて、何を歌っているのかもよくわからない。もうちょっと丁寧に録音してくれよ、とかえらそうなことを思ってしまい、どうにも浸りきれないのだった。

アルバムの最後の曲の、雨上がりの夜空にのイントロが流れてきたあたりで、海老名サービスエリアについた。その頃にはすっかりと気持ちは現実に戻っていて、トイレに行って、夫用のコーヒーを買って、東京まで、もうひとがんばり。