わがままで欲張り
今私は週3でパートをしているのだけど、毎週月〜土のうちの3日入る、という感じで、曜日は決まっていない。今週は火、水、木と連続で入っていて、月曜が祝日だったこともあり、今日は1週間ぶりにひとりで家にいられる日で、諸々のやりたかった家事をすませて、すっきりしている。シンクの排水口まわりを掃除したり、まな板を漂白したり、晴れていたから、布団も干せたし、シーツやマットなどの大物を洗濯できたので、うれしい。
でも、ほんとうは、年末の大掃除に向けて、家の中のいらないものたちを少しずつ処分していきたくて、それをピックアップする作業も始めたかったのだけど、どうにも時間が足りなくてできそうにない。
私は仕事がある日は、買い物とご飯作りと洗い物と洗濯(最近は夜に洗って部屋干しが多い)みたいな基本的な家事をこなすだけで精一杯だ。あと、夫がいる日は一緒に出かけたりするし、夫は基本的には家事をしないので(たまに手伝ってくれたりはするけど)、のんびりしている夫の横でせっせと家事をする気にはあまりならず、今日やったようなプラスアルファの家事は、ひとりで家にいる時にまとめてやることが多い。あとは、ゆっくりブログを書いたりも(これに時間をとられてしまう…)。
ふと、私は、「健康で文化的な最低限度の生活」みたいなものを、とても欲しているんだなあと思う。そして、自分が思う「最低限度」のラインが、結構高いということも、感じる。清潔さとか、居心地のよさとか、行き届いた管理だとか、ただ「生活する」以上のことを、求めている。
だけど、自分自身のちからというか、キャパシティみたいなものが、その自分の理想とする生活に届くためには、ちょっと足りていない。それにも、よくよく気づいている。分相応、よりも、ちょっと上を求めてしまうのだ。
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私はかつて、母によく「わがままだ」「欲張りだ」と言われた。そういう私の現状以上の理想を求めるところ、でもちからが足りなくてなかなかそれに届かず、いっぱいいっぱいになっている姿を日頃から見ていて、そして、そのしわ寄せが母にいくこともあったので、親として、心配して、自分のできる範囲のことをやりなさい、という意味で言ってくれていたのだと思う。今ならわかる。でも、母の言葉はネガティブな方向で私に響き、いつのまにか内面化された。何かがうまくいかない時、その言葉はいつも私を責め立てた。
思い描く理想があって、それに近づきたい、という気持ち自体は、悪いことじゃないはずだ。そのための自分のやり方が悪かったり、まわりの人の協力が得られなかったり、理想自体の微調整が必要だったり、色々な要因があって、うまくいかないことはある。だけどそういう細かな要因を検証するよりも、それはすべて私が「わがまま」で「欲張り」だから悪いんだ、と、いつも結局思ってしまっていた。わがままで欲張りな自分が大嫌いでしょうがなかった。
結婚して、夫と海外で暮らし始めて、なんだか自由だと思った。夫は私の意志を尊重してくれて、「そのままでいいんだよ」と言ってくれた。私は、「わがまま」と「欲張り」というネガティブな呪文から、解放され始めていた。でも、一時帰国して、結婚式の準備のために実家でしばらく暮らしていた時に、私が人と会う予定を詰めすぎて疲れていたら、久しぶりに母からその言葉を言われて、何かがぷちんと切れた。
「わがままと欲張りって言葉が、大嫌い!言われなくても、そんなことわかってる!いつもずっと、自分のことをそう思ってて、そういう自分が大嫌いになる!だからもう二度と言わないで!」
私は母に泣きながら自分の気持ちを伝えた。母は私の言ったことを理解して、言い方が悪かったと謝ってくれて、それから、ほんとうに、その言葉を言わなくなった。
私はやっと、その言葉から、ほんとうの意味で解放された。それまでは、母のことが好きだし、仲が良いと思っていたけど、同時に、自分がどこか満たされないのは母のせいだ、母の呪文のせいだ、という気持ちが、心の奥底にあった。そんな風に思っているのは、嫌だったし、辛かった。でも、そんな気持ちも、そのうちいつのまにか消えていた。自分の性質を、自分で引き受けることができるようになった。
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そうして、今は、そういう自分の「わがまま」で「欲張り」なところも、そこまで悪くないんじゃないかなと思っている。そこそこ、で満足することも、時には大切で、そのほうが日々の幸福度は高まるかもしれないし、あまりに高い理想を掲げて疲れきってしまうなら、それはサイズダウンが必要だと思う。
でも、ちょっとだけ上を求めること。それすらなかなか届かなくて、しょんぼりすることもあるけれど、いつもそう思って、そのベクトルで行動していれば、少しずつ、そういう風に、変わっていけるんじゃないか。少しずつ、良くなっていくことができるんじゃないか。そんな希望を持っている。
そして今日も、手帳に書いた、自分のキャパシティ以上に詰め込んだTO DOリストを眺めては、明日こそは…!と気持ちを新たにするのでした。うーむ。