好きだった歌を思い出してた


このへんの話のつづきです。

anohika.hatenablog.com
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先週の土曜日、夫が男性不妊の専門医の診察を予約していた。結果次第で今後の方針を決めようと思っていたので、ずっとその日を待っていた。男性不妊の専門医は日本国内にまだ50人もいないらしい。家から1時間くらいのところにあるクリニックで、1ヶ月に1回だけ外来を設けていて、ずいぶん前から予約していたのだ。

私はその日は仕事だったので、同行しなかった。仕事中、動揺するような結果の連絡が来たらどうしようと思っていたけど、音沙汰はなくて、仕事が終わったら、いてもたってもいられず「どうだった?」とLINEで聞いた。少しすると夫から返事が来た。電車の中だった。それを見て、私は、頭がぎゅうぎゅうして、涙が落ちそうになったのをこらえていたので、目を見開いて、窓の外のあさっての方向ばかりを見つめた。

「期待しすぎないようにしよう。」とは思っていたので、心はどこか冷静だったけど、電車から降りてふと、母親のことを思い出した。私は昔から、悩み事があると、母親に何でも話していた。別に話したかったわけではないけど、それが習慣になってしまっていて、いつも話さずにはいられなかった。「ママ、私、不妊治療してるんだ。」自分が母親に話すところを想像したら、いよいよ泣けた。


7月、クリニックで、夫の精子の状態が良くないことがわかって、自然妊娠は難しいかもしれないから、ステップアップした方がいい、と言われていた。夫用の漢方を処方してもらって、これで状態が良くなる人もいる、今から飲んで新しい精子が作られるまでは2ヶ月かかる、とのことだったので、2ヶ月待って、また検査をして、それでもだめだったら、ステップアップしようとは思ってた。まずはAIH(人工受精)から。この2ヶ月間、夫は漢方をせっせと飲んだ。マカやら亜鉛やら、良いと言われるサプリも、涙ぐましいくらい、せっせせっせと飲んだ。

それとは別に、今回、専門医に見てもらったところ、夫は男性不妊の原因のひとつと言われている、「精索静脈瘤」という病気であることがわかった。レベルを3段階で言えば、2〜3の間で、悪いほう。病気と言っても、日常生活に支障が出るわけではないけど、時間を追うごとに、精子の質が低下してしまう。(精液検査は今回はなかった。漢方の結果を見るためにも、近いうちにまたする予定。)

精索静脈瘤の手術をすれば精子の状態が改善される可能性があるので、夫は手術をすることに決めた。改善されれば、自然妊娠も可能になるかもしれない。でも、手術は4ヶ月先まで予約が埋まっているとのこと。そして、手術を受けてから精子の質が改善されるまで、3ヶ月くらいかかるらしい。

事情があって、来年の夏から1年間、夫と私は離れて暮らさなくてはいけない。その間、不妊治療に専念することはできない。一緒にいられるあと1年足らずの間の、半年以上を、ただ手術と、その結果を待つことだけに費やすのは、もったいない。

「手術と並行して、AIHを始めよう。それでもだめだったら、IVF(体外)を視野に入れよう。」
「保険がきかなくて費用が高くなるかもしれないけれど、もっと早く手術できる病院もある。とにかく早く手術できる病院を探そう。」

そんな風に、方針を決めた。可能性はゼロではない。行動あるのみ。良くも悪くも、行動の結果が出たら、その都度考えていけばいい。

頭ではそう考えても、心の中は不安で、寂しい。AIHって痛いのかな。怖いな。そして、未来がなかなか定まらない。これまでは、子どもがいる未来を思い描いていた。子どもを育てるのはコスパが悪い、というネットの文章を見た。私はそういうことをあまり悩んだり考えたりすることもなく、自然に欲しいと思ったので、その点は気楽だった。でも、そう思っていても、誰もがすぐに妊娠できるわけではない。子どもが欲しくないのに子どもはまだ?と言われるのも辛いだろうし、子どもが欲しくてもなかなかできないのに子どもはまだ?と言われるのもまた辛い。難しいね。

ただ、月並みだけど、検査は早いうちにしといた方がいいと思った。男女共に。時間は無限にあるわけじゃないから、判断材料のひとつとして。


そんなことを色々考えた週末だった。やることは定まっているけど、どうにも元気が出ない。あまり深く考えないほうがきっといいけど、心はともすると沈んでいきそうになる。そんな時に、好きだった歌を思い出してた。そうすると、頭の中は歌でいっぱいになって、考えたくないことを、考えなくてすんだのだった。