ガード下ぶちまけプンスカ事件


先週末、ガード下の大衆酒場のようなとこでお酒を飲んでいて、私はそういったお店が大好きなので、超ご機嫌になっていたのだけど、しばらくしたら隣の席に座った人がジョッキをつるっとやって、私の!白い!パンツに!大量のお酒をぶちまけたのであった。

履き古したジーパンなら、まだよかった。
でも、その日履いていた、白い!パンツは!クリーニングに出さなくてはいけないような感じになってしまった。

私は腹が立ってしまって、白いパンツなので!クリーニングに出さなきゃいけないんですけど!と言ったけど、相手の男性は、すいませんと伏し目がちに弱々しそうに謝って、それからおどおどと目をそらしてしまうような塩梅だった。

そこから踏み込んでお金を要求するような勇気は出ず、もう、帰る!と、どんっと私は持っていたビールのジョッキを音を立てて置いて、プンスカとお店を出て、隣の席の人がびくっとしているのを感じたけど、そういう自分をおさえられなかった。

狭いお店だったから、周りの客もなんとなくこちらの様子をうかがっていた。
きっと、こえーなー、みたいに思ってるんだ。
あのぶちまけ野郎と一緒にきていた彼女も、こわいねー、謝ったのに感じ悪いよねー、気にすることないよーとか言って、きっとその人を慰めているんだ。

そんな風に怒りを表現したあとはいつもどかんと落ち込んでしまう。
何より一緒にいた夫に申し訳なかった。
せっかく楽しく過ごしていたのに。
ごめんねと謝ったけど、何言ってんの、嫌な思いしたのは○○じゃんと、慰めてくれて、ありがとうと思った。
(パートナーとはそういうもの。。)

夫はこういう時、ちゃんと自分をおさえられるタイプだ。
私はうまくできない。

酔っ払ってお酒をぶちまけちゃう気持ちは、すごくわかるんだよ。
でも私が同じことをしてしまったら、絶対クリーニング代は出すと思ってしまって、相手にも同じことを求めてしまったんだ。
思い通りにいかなくて、腹を立ててしまったんだ。

こういうの、自他との境界がないって言うのかな。
自分のそういう性質を、最近よく見かける発達障害というトピックで言うところの特性ってやつなのだろうと、クヨクヨと考えたりしていたところだったので、改めてクヨクヨとしてしまう。

一方、まだ読んでいる最中(読むの遅い)の「嫌われる勇気」にもその日の私と同じような例が出ていて(ウェイトレスに水をぶちまけられて怒る的な)、それは正当な原因があってそうしたのではなく、ただ自分が怒りたいという目的のために怒っているのだみたいに書いてあった。

私もやっぱり、怒りたくて怒ったのかなあ。
日ごろの生活で、もっと満たされていれば怒らなかったのかな?

でもこの場合の私の満たされていて怒らない、という状態は、経済的に豊かで、クリーニング代なんてはした金だと思えるような心持ちなんじゃないかなと、思った。

じゃあ私は、自分が満たされるためには、お金持ちになればいいの?
私にとっての幸せって、お金持ちになること?
いや、なんか違う。

まあ、嫌われる勇気をまだ全部読んでないので、正しいアドラー的な方向性は今のとこちょっとよくわかっていない。
適当ですいません。

でも、笑ったり、泣いたり、怒ったり、そういう素直な感情の発露を、大人になればなるほど、みんな少しずつおさえたりするようになるわけで、だからたまには、こんな時くらい、怒ったっていいじゃないか。
それなりにわかりやすい原因があったじゃないか。

などと考えてたみるものの、そうやって普段おさえているあらゆる感情を発露させるひとつの形として怒りを選んだんだろう、そういう目的があったからだろうと言われたら、ぐうってなる。ぐうの音ぐらい出す。
そりゃそうでございますね、フン、という気持ちにもなる。


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昨日のブログに、スターやブックマーク、ありがとうございました。

いじめのことを考えているようで、結局自分の思い出話じゃないかと、あとで恥ずかしくなりましたが、弓岡さんのブコメを見て、私も私なりに、伝える力みたいなものを、幸運にも持ち合わせていたのかもしれないと思い、また色々と考えさせられました。

昨日から初仕事。
いきなり3日連勤で辛いですが頑張る!