映画「海街diary」感想(欠けたものを補いあう)
先週の土曜日は海街diaryの映画を観た。
原作のマンガは2巻までしか読んでいなくて、絶賛されていたけど私はそこまでぐっとくるものがなくて(3巻以降あるのかもしれないけど)、でも映画は監督とキャストがあまりに魅力的だったので、観に行ってみた。
鎌倉の海と四季の移り変わりの美しさと、古民家(というのかな)の懐かしい感じと、それぞれにきらきらと魅力的で透明感のある四姉妹と、四姉妹を取り巻く様々な人間模様と。
そんな映画でした。
きれいにまとまっていて、そんなに重くならずに楽しめる映画だったと思う。
観た後、心がじんわりとあたたかくなった。
以下、ネタバレを含む感想です。
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この映画のなかでいちばん印象に残ったところ。
それは、長女の幸に、義理の妹(四女)のすずが、
「お母さんいけないよね。
結婚してる人を好きになるなんて。」
と言う場面で(記憶だけで書いているので一言一句正確ではないです)、そう言われて初めて幸が、そういう人を責めてばかりいた自分もまた、同じことをしていたんだということに気づかされるところ。
幸は勤めている病院の医師と、はからずも不倫関係にあった。
幸はずっと、女を作って出ていった父親も、そんな家から逃げるように出ていった母親も、許せなかった。
許せなくて、だから必死になって自分たちの「家」を、姉妹の生活を構築した。
その父親と、自分の家庭をこわした女の、娘がすず。
でも父親が死んで、そのお葬式で、だめな大人たちのなかで、ひとりすべてを抱えこんで懸命に生きているすずを見て、思わず、声をかけた。
「一緒に暮らさない?」
関係性だけを考えればそれはとても割り切れるものではないと思うけど、ただすずの存在そのものを見て。かつての自分ときっと重ね合わせて。
ただただ純粋な気持ちが湧いたのだと思う。
この子を、守らないとって。
そんな純粋な気持ちに忠実に、幸と妹達はすずを家族の一員としてむかえて、慈しんだ。
でも、祖母の法事で実母と久しぶりに会って。
ちょっとした言い合いのなかで、見えないようにしていた家族のいびつな形が改めて浮き彫りになる。
そうしたわだかまりがある限り、すずはずっと自分の存在を責めて、ここにいていいのかと、自問し続けることになる。
そこですずの最初に書いた一言が発せられて、幸はどんなに誠実に生きていたって、どうしようもなくそうなってしまうことがあるんだということ、それは自分も同じなんだということに、気づかされるのだ。
色んな事情がある。
でもそれとは矛盾した、色んな気持ちがある。
それを明るみにだして、お互いに受け止めあうことで、幸とすずはきっとほんとうの姉妹に近づいてゆく。
そうして、幸は自分が得られなかった純粋な子ども時代と、母性に似たものを、すずに与える。
すずは、幸が憎しみのなかで忘れかけていた優しい父の姿を、そして幸自身の純粋な気持ちを、幸に思い出させる。
そんな風に人は、欠けたものを補いあって生きていくんだな。
そんなことを思った。
やっぱり幸とすずの心の動きが物語のメインだったと思うので、描写として印象に残ったのはそのふたりのことだけど、キャラクターとしては次女(長澤まさみ)がいい味出してた。
というか、めちゃくちゃセクシーに撮られてた。
それだけでも、観る価値ありです。笑
長澤まさみのセクシーさはあからさまだったけど、広瀬すずも健康的な清純さの中に見え隠れするエロみたいなものをしっかり撮られていた。
お風呂のシーンや、バスタオルをばっ!て扇風機の前で広げたり。
是枝監督って、意外とそんな一面もあったのね…。
そしてそれを観て喜ぶ私なのでした。
いや、かわいい女の子が好きなもんで。