思いと言葉


自分の思いは基本的には自分だけのものなので、人と共有しようとするのは難しい。

でも思いを人と共有することがコミュニケーションで、仕事とかだと「人と共有する」ことが必要だから、コミュニケーション力が大事とか言われるのだろう。

仕事じゃなくても、誰かと一緒に行動すること、誰かと一緒に暮らしていくこと、なんかにおいても、やっぱりコミュニケーションは大事だ。

思いを人と共有するためには、お互いが理解可能な共通の言葉が必要で、まあ日本語、ってゆうか同じ言語を使っている時点で超超超最低限のハードルはクリアしているのだけど、自分の思いを正確に伝えるためには正確な表現が必要で、でもその表現上の語彙を互いに共有していなくてはならないし、またその表現にあらわれる比喩やあいまいなニュアンスなんかを理解する感性みたいなものも必要になってくるし、またその表現の背後にある文脈みたいなもの、例えば育った環境や現在の状況やそんなものを読み取る力も必要になってきたりして、ああなんてハイコンテクスト。


同じような環境で育っていれば、大体同じような言葉を獲得していて、上記のようなことを意識しないでも、何となく通じ合えたりする。

でも大人になって社会に出て、それぞれの持ち場で働いて、それぞれの人生の段階があって…
そうすると、自前の言葉はそれぞれ違ってくる気がする。
それぞれの生きている場所に馴染む言葉があって、それを身につけて使いこなしてみんな自分のものにしてゆく。


社会人になったばかりの時、ビジネスマナー研修のようなものに行って、みんな同じような格好をしていて、同じような言葉遣いを強要されて、なんだか怖かった。
今までの自分がばらばらになってゆくような感じがした。
でも会社で数年過ごしていれば、お客さんや取引先との打ち合わせ、メールのやりとりなどでそういった言葉は自然と身につき、そんなことに対する違和感も次第にうすれてゆく。

でもうすれていっても、私の場合は違和感そのものはいつまでたってもなくならなくて、そういった自分の生きている場所に馴染む言葉遣いはそれはそれで身に付ける必要があるけど、自分自身の言葉みたいなものも、いつだってちゃんと持っていたいと思ったのだ。


生きている場所によって言葉遣いをどんどん変えてゆく人もいる。

例えばツイッターにはツイッターに固有な文法や言葉遣いみたいなものがあると思うけど(たくさん☆がつくツイートに共通するようなあの感じ)、対面で話した時は全然そんな感じじゃないのに、ツイッターではツイッターの文法や言葉遣いみたいなものにのっとったツイートしかしないような人もいて、そんな人だったっけとか思ったりする。


閑話休題

そんなこんなで、自分の思いを人と共有しようとするのは難しい。
何だか年々難しくなっていく感じがする。

自分にとって大事なことほど、やっぱり正確にわかってほしいという気持ちがあって、でもそんなのは実際難しくて、話せば話すほど差異や断絶が浮き彫りになって、悲しくなってしまったりする。

そんな風に悲しくなるくらいなら、大事なことなんてわざわざ共有しなくていいんじゃないのか。
自分の中にただ大事に持っていればいいんじゃないのか。

でもそれは何だか孤独で、やっぱり誰かと何かを話して色んなことを分けあって生きていきたいと思う。

そのために、人に話すために、人に話して理解してもらえる言葉で構成された自分の物語を拵えたりもする。
それは時に自分の思いと少し乖離するけれど、でも幾ばくかを共有して、つながることはできる。


結局どちらを大事にするか、そのバランスなんだろう。
自分固有の思いか、思いを共有して人とつながることか。

どちらにしろ大事なのは言葉だ。
自分のための言葉と、人とつながるための言葉。

それは両方、きちんと持ちあわせていたい。


以前、村上春樹の「走ることについて語るときに僕の語ること」というエッセイを読んだら、少し近いことが書かれていた。

以下、引用です。(適宜原文にない改行を入れています。)

日本語に関していえば、僕はやはりできる限り、机に向かって一人で文章を書くという営為にしがみついていたいと思う。文章というホームグラウンドでは、僕はそれなりに自在に有効に言葉と文脈をキャッチし、かたちに換えていくことができる――なにしろそれが仕事だから。
しかしそのようにしてつかみ取られたはずのものを、人前で実際に声に出して語ってみると、そこから何かが(何か重要なものが)こぼれ落ちていくという切実な感覚がある。
そのようなある種の乖離にたぶん僕は納得できないのだろうと思う。


私も、そんな「ある種の乖離」と上手に折り合いをつけられなくて、だから今日もこんな風に文章を書いたりする。
村上春樹みたいに上手くは書けないけれど。


走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)


そういえばアイコン変えました。
以前のは無料のアイコン作成サイトで適当に作ったものだったのですが、ほぼ同じ人を見かけたので…。
でも今のやつもPC内に入ってた写真から適当に決めたので、また変えるかもです。
違うアイコンになると認識してもらえなさそうで最初はスターつけたりするのに少し勇気がいる…。