「おかん」のことはわからない


私の母は世間一般のいわゆる「おかん」像みたいなものに嫌悪感を抱いているようだ。
そういうのって鬱陶しい、などと言う。

私の母は幼いころに実母を亡くし、ずっと義母に育てられた。
私が知っている「おばあちゃん」は、実は「義理のおばあちゃん」だ。
ほんとうの祖母がどんな人だったのかはよく知らないけど、義理の祖母は買い物好きで金遣いが荒かったりととても「おかん」というタイプではなかったし、祖父も仕事が忙しく、祖母(母の実母)がいなくなった穴をせっせと埋めようとするようなタイプではなかった。

そんな事情ゆえの複雑な感情が母にはあるんだと思う。
母はあえて「おかん」的な行動を避けていたと思うし、実際のそれがどういうものかをよく知らないからわからないというのもあるのかもしれない。


私は母とは友達同士のような関係だ。
日々の家事や買い物やどうでもいい発見なんかを報告しあったり、悩みやぐちを言いあったり。

結構対等に何でも言いあうけど、心の奥底では対等じゃなく私にとって母は母で、母の言葉は絶大な影響力をもって私の心に響く。

悩み事があった時、母は同じ人間としてのアドバイスのような言葉はくれるけど、「おかん」の大きな愛で包むみたいな、「あなたが元気でいてくれればそれだけでいいのよ」みたいな、そういう方向性の言葉をもらった記憶はあまりない。

だから私も「おかん」的なことはよくわからなくて、今上に書いた「おかん」的な言葉だって、単なるイメージだけで書いたものである。


でもどうやらそんな言葉を私はずっとずっと求めていたのだった。

「大丈夫。そのままでいいんだよ。」

みたいなこと、イメージの中の「おかん」的方向性の言葉を人から初めて言われた時、乾いた土にじんわりと水がしみこんでいくような、そんな気持ちになった。
どうしてこの人は私にそんなことを言ってくれるんだろうと、不思議で泣きたいような気持ちになった。


今週のお題「これ、うちのおかんだけ?」