「いろんなことに夢中になったり飽きたり」
先月夫の会社の人たちに会う機会があって、みんなでマラソン大会に出場するというのでただ見学に行ったのだけど、中にはまだ働き始めたばかりの10代の女の子もいたりして(若さ…!)、その子が走る時にandymoriのTシャツを着ていた。
私はandymoriは結構好きでそれなりに聴いているけど、聴き始めたのはギタボの人が怪我をして、もう解散が見えているくらいの頃からだった。
だからリアルタイムではあまり情報に触れていないし、もちろんライブも観たことがないけど、でも「今」結構好きという気持ちは心の底からあるのだ。
だからその子に「私もandymori好きなんだ」と声をかけたかったけど、私はバンド名の正しい発音がわからなかった。アンディ↓モリ↑なのか、アンディモリ↓なのか。それともまた別なのか。
(くるりの発音だって、長年間違っていたような私だ。)
結局勇気が出なくて声をかけることはできなかった。
解散してから聴くようになったバンドはたくさんある。
というか、そんなバンドばっかりだ。
私は90年代の日本のバンドがわりと好きだけど、実際の90年代には私はまだ小学生とか中学生とかで、世間一般の多くの人と同じように、ゆずとかミスチルとかあゆとかaikoとかその時流行していたJ-POPを聴いていた。
フリッパーズ・ギターとかFISHMANSとかサニーデイ・サービスとか(再結成したけど)SUPERCARとか、ちゃんと好きになったのはきっと10年遅れとかだ。
解散したバンドはもう世界が完結されていて変わることがない。
もう終わったものだと思うと少しさびしいけど、いつでも安心して聴くことができる。
ある時期に色々なタイミングが重なって奇跡的に産みだされた素敵な音楽がCDとして閉じ込められて、その後もずっと残っている。
それってなんてすばらしいことだろう。
リアルタイムで追うことのできたバンドもそれなりにある。
その中で既に終わってしまったバンドもあるし、まだ続いているバンドもある。
リアルタイムで続いているということは常に変わってゆく可能性を孕んでいるということで、そんなのは当たり前のことだ。
でもそれを受け入れがたく思う人もいるだろう。
CDとして完結されたひとつの素敵な世界が手の中にあって、どうしてもそれと同等の感動を求めてしまう人もいるだろう。
ゆらゆら帝国とかは、その世界観のままで終わったと思う。(私が「めまい」「しびれ」から聴き始めたからそう思うのかも。個人の見解です。)
きっとそれが坂本慎太郎さんの美学だったのだろう。
「空洞です」というアルバムは最後にふさわしいほんとうに素敵な1枚だった。
一方で常に新しい顔を更新し続けていくバンドもいる。
くるりとかクラムボンとか。
そんな風にしなやかに(時に苦しみながら)変わり続けていくことが、続けていくということなのかもしれない。
それでもやっぱり、変わってゆく可能性を孕んだものをずっと追いかけ続けるのはしんどいものだ。
だから最近は何かひとつの存在に注力することはせずに(そんな情熱がなくなったというのもある)、広く浅く色んなものを聴いている。
サニーデイ・サービスの「東京」というアルバムに収録されていた曲のタイトルを時々思い出す。
「いろんなことに夢中になったり飽きたり」。
そんな過程を繰り返しながら、何となくまた手にとって、また好きになったりする。何度でも。
ふと思ったけど、生き方とか人間関係とかにもそんな側面がある。
「いろんなことに夢中になったり飽きたり」。
個人的にはこれを付け足したい。
「そしてまた好きになったり」。
そうして残ったものがほんとうに好きなものという気がする。
私は飽きっぽい人間なのでそんな感じです。
ひとつのものごとをずっと追いかけ続けられるまっすぐな気持ちをもった人に憧れます。
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