私とインターネットの文章


高校生の時、友達から侍魂というサイトを教えてもらって、それからテキスト系サイトを読むのにはまった。
(今活躍しているライターのヨッピーさんもその界隈の人で、私にとっては今もオレイズムのヨッピーさんという感じだ。)
私も何か書いてみたいな、と思ったけど、ホームページなんて作れないし、と思っていたら、簡易日記サイトみたいなものを見つけて、文字の色や大きさや背景が変えられる程度のシンプルなもので、これなら私にもできると思って書き始めた。
ネット仲間とかもいなかったけど(一時的に交流した人はいたけど)、ただただ自分のひとりごと、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるということが精神衛生上よくて、それを書くことが私にとって自然になり、習慣になり、長い間続くことになった。


大学に入ったら、サークルの先輩は結構個人のホームページを持っている人が多かった。
そこに日記やBBSなどを設置して、みんな好きなことを書いたりしていた。
そんなに話したことのない先輩でも、そこに書いてあることを見て、こういう人なんだなと思ったりした。
それで好きになったりもした。
変わり者の先輩に日記に勝手に自分や友達のことを書かれて、みんなで憤慨したりもした(かわいい)。

そのうちブログが登場して、私も友達に公開して書くようになった。
個人で作っていたホームページの存在はいつの間にか忘れ去られ、みんなブログを書き始めた。
そのうちそれはmixi日記に成り代わり、そうするとまたブログの存在はすぐに忘れられた。


後輩の女の子の日記などを見ると、センチメンタルな心の内が吐露されていたりして、私もともすればそういうことを書きそうになってしまうのだけど、頑張ってその衝動を抑えていた(それでもたまに書いてしまっていたけど)。

私には、インターネットの文章に、対面では言わないこと、言えないであろうことを書くのは、どこかフェアじゃない、卑怯であるという意識がずっとあった。
だってそんなの、簡単すぎるじゃないか。
例えば普段は明るい女の子が、実は色々なことに悩んだり、傷ついたりしていると知ったら、そんなの、すぐに好きになっちゃうじゃないか。
そういうのって、本来、ある程度仲良くなってから少しずつ打ち明けるものじゃないのか。
それが本心だったとしても、そういうのを演出するのだって、簡単にできてしまうじゃないか。
そんな風に思っていた。
(だからインターネットの日記に書かれた内容を見て好きになった先輩のことも、そういうのは本当じゃないのだ、面と向かってある程度話して判断しなくてはいけないのだ、と自分の気持ちをずっと否定し続けたりしていた。)
(もちろんそれはリアルの知り合いに対して公開している文章についてのことで、知らない人に対して公開している文章は、別に何でもいいんだけど。)


それからまたどんどん時代は流れた(といっても、ほんの10年くらい)。
個人のホームページが消え、ブログが消え(今また盛り返しているけど)、mixiが消え…そうこうしている間も、私は一番最初に始めた日記サイトをひとりでずっと書き続けていたけど、それもついにサービスが終了されてしまった。

今はみんな主にツイッターかFBかインスタグラムに生息している気がする。
一言で表せば、ツイッターは本音ベース、FBはリア充、インスタグラムはすてきな生活という感じで、それぞれが自分の特性に合わせて、いちばんいやすい場所に落ち着いているのだろう。
私もぜんぶにちょっとずつ片足を突っ込んではいるけど、なんだかどれもしっくりこなくて、長い文章を書きたくて、こうしてブログに戻ってきた。

個人のメールのやりとりは、今はLINEにとって変わられている。
短い文章やスタンプで、ぽんぽんとメッセージが飛び交う。

考えてみれば、ツイッターもFBもインスタも、文章が短めだ。
わざわざ言葉にしなくても、写真やスタンプでいくらでも情景や気持ちが表せる。
それに対しての返事や賛同も、言葉をつくさなくたって、スタンプやいいね!ボタンひとつでいいのだから、なんて簡単なんだろう。


こういうコミュニケーションのあり方がどんどん普通になってくると、その昔の私の、
「インターネットの文章に、対面では言えないであろうことを書くのは、フェアじゃない。」
などという考えは、もはや時代遅れなのだろうと思う。

ネット上はリアルと地続きで、そこに何かを表現することは当たり前で、そこに某かの演出や編集が含まれていたとしても、それも全部その人の一部なのだ。
それに対する好意や賛同は、いいね!で全部可視化されて、それがそのままその人の評価になる。

日々の出来事も思ったことも好意も賛同も、表現しないで心に秘めていたらないものと同じになってしまう(とまでは言わないけど、そういう感覚の人はだんだん増えていく気がする)。


知り合いがアルファツイッタラー(?)を目指しているとかで、そんなに面白くないけどツイッターでよくありそうな感じのつぶやきを量産して結構☆をもらっているのを見て、
「そんなに面白くないよね。」
と友達に悪口を言っていたら(すいません)、
「でも、面白くなくてもこうしてつぶやき続けてるだけ、こいつはえらい。
 いくら面白いことを考えていても、表現しなきゃ、こいつに負けてるよ。」
みたいなことを友達が言っていて(酔っぱらってたからうろおぼえ)、ほんとにそうだな、と思った。
その友達は、私の文章を好きだと言ってくれた。
それも私がブログを書き始めたきっかけのひとつだ。


まとまらないけど、私はこういう時代の流れに逆行したくて、心の中で思っていることも、ちゃんとここにこうして存在しているんだよ、一言で言い表せないこともあるんだよ、みたいな感じで、ブログを書いているんだと思った。