夫が関西の病院に1泊2日で入院し、精索静脈瘤の手術を受けて帰ってきた。術後にFaceTimeで電話したら(私は同行しなかった)、手術は全身麻酔で行われたのだけど、どことなく体が消耗しているし、痛みも残っているようで、画面越しの夫の表情はいつもよりずっと弱々しかった。そんな夫がかわいそうで心配になったし、不謹慎だけど、なんだかかわいいとも思った。

 かわいそう、とかわいい、という気持ちは、似ている気がする。あわれむ、といとおしい、という気持ちも、似ている気がする。それらはすべて、愛という気持ちに通じているように思う。その時私が感じたのはきっと、愛だった。

 私にとって、愛は、完全無欠のポジティブな気持ちじゃない。上に書いたような、色々な要素が混じりあった、複雑な気持ちだ。腹の底から湧いてくるような、力強いものでもない。これでいいのか、ほんとうなのかと、何度も自分に問いかけて確かめながら、少しずつ少しずつ積み重ねてゆくような、地道な気持ちだ。

 愛のことは、よくわからない。ほかの人にとっての愛と、私にとっての愛は、きっと違う。私は完璧なものよりも、どこか欠けているものにひかれるところがあるから、私にとっての愛は、そういう、私の性質が反映されたかたちになっているのかもしれない。

 とにかく、大変な手術を受けてくれて、ありがとう。ほんとうにお疲れさま。それだけ。