記憶を補完するもの


最近すてきな写真や料理や暮らしぶりが紹介されているブログをいくつか読者登録させていただいて、眺めているだけで幸せである。

私はインスタグラムのそういったすてきな写真を眺めているのが好きなのだけど、インスタはどんどん流れていってしまうし、たくさんフォローするほどその人個人が見えなくなってしまうというか、ただただ眺めて流れていくだけになってしまう。

でもブログだときちんとその人が見えてくる感じがして、写真も大きくてよく見えるし、やっぱりブログはいいな。と思った。


すてきな写真を眺めていると、私もすてきな写真を撮りたいという欲求がむくむくと湧いてくる。

私はその昔壊滅的に写真のセンスがなくて、大学時代友達とふたりで海外旅行に行った際、ふたりだと互いが互いの写真を撮るしかないのだけど、私が撮る友達の写真があまりにセンスがないので、友達がついに自撮りを始めてしまったほどだ(軽いトラウマ)。

昔のデジカメは画質がそんなに良くなかったから、旅先などで目の前のすばらしい風景に感動して写真に閉じ込めてみたら全然良くない、そのまんまが写せない、みたいなフラストレーションを感じることが多くて、もちろん自分のセンスのなさのせいもあるのでうんざりして、結局ほとんど写真を撮らないということが多かった。

でも最近はスマホのカメラですら画質が良くて、きちんと目の前の風景をそのまんま閉じ込めてくれる。

そのまんまを閉じ込めてくれるだけで私は十分嬉しくて、だから前よりもこまめに写真を撮るようになって、それは役割としては「自分の記憶を補完するもの」という感じだった。


私は記憶力が悪い。
ぼんやりしていると色んなことをどんどん忘れてしまって、でも日々の出来事や思ったことを忘れたくないから、日記やブログをずっと書いたりしていた。
それに写真という画像が加わると、更に記憶が補完されていく。
こぼれ落ちて消えていくものが少なくなっていく。

ほんとうは日々の逐一を文章化して写真を貼り付けて、何ひとつ取りこぼさずに記録したいくらいだけど、それはさすがにデータの量も作業の量も膨大すぎて面倒くさくて無理。

それでも最近はSNSの普及やフォトブックの作成サービスなんかも充実してきて、以前よりもそういったライフログを残すことが簡単になってきたと思う。


実際にネットで色々な人のライフログの一端を垣間見ていると、つい自分もと欲が出てくる。

ブログを書きたくなるのもそうだし、インスタなどですてきな写真を見ているとやっぱり、自分もすてきな写真が撮りたくなってくる。
記憶を補完するだけじゃなくて、もっと彩りを加えたくなってくるというか。


インスタにもたまに写真をアップするようになったけど、スクエア型で撮影画面を9等分する線が入っているとバランスがとりやすく、センスがなくてもバランスを見て配置を注意すればなんとかましな写真をとれるということがわかってきた。
フィルターも充実していて、大したことのない写真もフィルターをかければいい感じにできたりして嬉しい。

GWの海外旅行では久しぶりにしまいこまれていたミラーレス一眼を使ったけど、やっぱりきれいに撮れるし、こんな高機能を使いこなさないのももったいないという気持ちも湧いてきた←イマココ。

スマホだけじゃなくカメラで撮る機会も少しずつ増やしていきたいな。