自分なりの物語


近頃「村上さんのところ」を見ると、「物語」が持つ力について、繰り返し繰り返し語られています。

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私も先日こちらのエントリの最後の方で、自分の「物語」についての考えに少しだけ触れました。anohika.hatenablog.com


それ以外に以前書きかけて下書きに入れておいた、「自分の物語を紡ぐ」ということについての文章も、勇気を出して投稿してしまおうと思います。
はずかしい、拙い文章です。
でもどんなに拙くても、考えをまとめておくこと、自分の物語を見つめることが、きっと自分にとって意味があると思ったので。
この機会を逃すと、きっとこれを完成させることがない気がしたので。


以下、長いですし、単なる自分語りです。


***


今朝、ふと、思った。
いつも思っていることだけど、改めて、思った。


誰もが自分の人生の主役で、
自分の身におこった出来事を、
自分なりに解釈する。


そうやって自分の物語を、紡いでゆく。

ほかの誰かと同じ出来事を一緒に経験したとしても、まったく同じ「物語」には、ならない。
これまでの自分の生い立ちや、考え方や、これからの生き方や、そうゆうものに合致するような解釈、意味付けを、する。

(そう、先日ブログにちょっと書きましたが、例えばアナ雪を見て、私は「完璧じゃない、それが良い」というところに主題を見出したけど、人によっては「男性不在のストーリー」と意味づけるように。)


それは時として、自分にとって都合の良い物語になるかもしれない。
第三者が見て、正しいと思うことも、間違ってると思うこともあるかもしれない。

それでも、自分がいちばん「生きやすいように」、物語を紡いでいく。


それでいい。
それでいいじゃないか。


そう思った出来事があった。


***


会社員として働いていた、25歳の時の話。
所属していた部署内で、新しく作られた課に異動になった。

女3人だけの小さな課で、A課長の下に私と同期のBさんがついた。
Bさんは前いた課でもA課長の部下だったので、引き続き下につく形。
私は、前いた課(A&Bさんとは別)で担当していた業務がこの課の担当になったので、業務と一緒にやってきた形。

A課長は方針として、課の新しく発生した仕事はBさんにふり、私は基本は前の課の業務をやって、プラスアルファでほかの仕事をする、ということを決めた。


A課長は新しい仕事の開拓に情熱を傾け、私がやっていた業務にはほとんど関わろうとしなかった。
私はその業務を数年担当していたので、当たり前だけどA課長よりも実務を把握していた。
だから、ほぼ丸投げ状態。

報告、連絡、相談をしても、そのままOKを出されるか、やりたいようにやっていい、と言われるばかりなので、結局すべてを自分で考えて判断しなければならず、まだ未熟な自分には、重かった。
課長に、もっと関わってほしかった。

…けど、同時に、冷静に、こう思ってもいたんだ。
業務に詳しくないA課長の指示を待つよりも、自分で考えたほうが、良い判断ができるって。
そんな奢った気持ちは、きっと課長にも透けて見えていたんだろう。


ほんとうに困った時は、前いた課のC課長に相談していた。
C課長は私の業務に精通していたので、いつも正しいアドバイスをくれた。

指示系統がばらつくので、それはあまり良くないことだったと思う。
とはいえ、A課長に業務のことを相談したら、「わからないから、Cさんに聞いて」と言われることもよくあったのだけど。

C課長のような存在がいたので、私は同じことをA課長に求めようとしていた。
人はみんな、違うのにね。


A課長とBさんは、いつも一緒に仕事をしているように見えた。
業者さんとの打ち合わせにも、A課長は大抵Bさんを同席させていた。

一方私はあまり打ち合わせには呼ばれず、むしろ私が自分の業務の打ち合わせにA課長を呼ぶ側だった。
A課長はいつも時間がなさそうにしていて、「私が行かなくちゃいけない?」と言われることもあった。

同席してもらわなくても仕事はできた。
でも私は、来て欲しかった。
自分の課の業務に、主体的に関わって欲しかった。


A課長はいつも忙しそうだった。
ものすごく大変そうに、毎日遅くまで残業していた。
Bさんも忙しそうで、同じくらい残業をしているようだった。

一方私は、やり慣れていたし、時期によって忙しさが変動する類の業務だったので、大分余裕があった。

同じ課なのに自分だけ手があいていることが多いので、やれることがあったら何でもやります、と何度もA課長に伝えたけど、新しい仕事はそんなに回ってこなかった。
回ってきても、すぐに終えられるようなものばかりだった。

自分の業務に関しても、改善点を見つけて、もっとできることを広げていこうと、努力した。
でも、広げられる仕事の量には限りがあった。


たった3人の課で、2人は忙しそうで、自分1人は定時に帰る日が続いた。
1週間何もやることがない時もあった。


こういうの、窓際族っていうのかな。
ほかの人が見たら、楽してるように見えるだろう。
「忙しそうなこと」「残業していること」が「仕事をしていることだ」と思う人が、多いから。


どうして私だけ暇なのかな。


気に障ることをしちゃったんだな。


きっと嫌われているんだろう。


うまく立ち回れない自分が、嫌い。


Bさんが贔屓されてるんじゃないか。
いらいらする。
それが態度に出てしまう、嫌な自分が、嫌い。


眠れなくなった。


頭に靄がかかったようになって、仕事の、どうってことないミスが増えた。


ある朝起きたら、首が痛くて回らなくなって、起き上がれなかった。


会社を数日休んだ。
心療内科に行って、薬をもらった。


このまま、休職してしまいたい。


その一歩手前で、変化は唐突に訪れた。
東日本大震災

様々な商品の納期が遅れたり、イベントの日程が変更になったり中止になったり、それに伴って印刷物の内容が変更になったり、お客さんへの説明の文書を作成したり。
そういったことに、追われた。

やらなければいけないことがたくさんあって、頭をフル回転させなきゃ、追いつけなかった。
そんな風に忙しくしていたら、頭の靄はいつの間にかうすまっていた。


やること(仕事)さえあれば、私、別に大丈夫なんだ。

そうわかってからは、暇なら暇でいいやって、開き直るようにして、それでも薬は飲んでいたけど、少しずつ減らしていくことができた。

そのうちに仕事も前よりは回ってくるようになったし(課長に上の人から指示がいった)、その間に転職活動をしたり、ほかの悩み(彼氏の海外赴任)もでてきたりして、日々を何とかやり過ごしているうちに、1年に1回出している希望が通って、別の部署に異動になった。


悩みの原因から離れたら、私はまったく大丈夫になった。
心には遺恨というか、もやもやが残って、悩む前と全く同じ自分では、なくなっていたけど。


そして彼と遠距離恋愛を2年続けた末に結婚が決まり、私も海外に行くことになったので、会社を辞めた。


***


こうして思い返すと、あの頃の気持ちが蘇ってきて、なんだか胸が締め付けられる。


これは私の物語です。

私は、基本的には出来事そのものを見て、できるだけ客観的に解釈したいと思っています。
自分が悪い時には自分が悪いと、ちゃんと思うようにしたいと思っています。

この文章も、なるべく客観的に書こうとしたけど、それでも偏っていると思います。

私は未熟だったし、悪いところがたくさんあった。(上の文章では、長くなるし、筋がぶれるので書いていないだけで、もっとはっきりとした「自分のミス」もありました。)

A課長も、悪意があってそうしたわけではないかもしれない。
自分の仕事が忙しくて、別の仕事に割くリソースがなかったのかもしれない。


それでもとにかくこのことは、「うまくできなかったこと」として私の中に刻まれました。

結婚と退職は、自分の日々の積み重ね、色んな未来の可能性を天秤にかけた結果としてそうなったのですが、時々、「私、逃げたのかな?」と思ってしまうことも、ありました。


でもある日、未来を向いて、前向きに生きていくために、そう思うことをやめたんです。

少し時間が経って、色々な人や物事から遠く離れた海外で、新しい経験ばかりの日々を過ごしているうちに、ふと、そうしようと思ったんです。


私が悪かったところもあるけど、「A課長も悪かった(悪意があろうとなかろうと)」

私はできるかぎりのことはしたし、別の課長の元では普通に働けた。

ただ、「A課長とは合わなかった」

私は逃げたんじゃない。「結果としてそうなっただけ」


そういう風に、私の物語を紡ぐことに決めたんです。


出来事を客観的に解釈しようと思うほど、自分の悪いところばかりが目につきやすくなると思います。
だって、自分のことがいちばん見えやすいから。

だけど、すべてを自分次第、自分のせいだと結論づけてしまうと、どこにもいけなくなる。
また同じ失敗を繰り返すのではないかと、恐ろしくなって、一歩も先に進めなくなる。


だから私は、失敗を引きずって生きていかないために、選択的に、そうしたんです。


それが誰かにとって正しかったとしても、間違っていたとしても。


そうして、自分の「うまくできなかった」過去を、別の筋をもった物語として消化することに決めてから、私は以前よりも大分、前を向いて歩いていけるようになった気がします。


これと同じようなことが、こちらのブログに引用されている『洋子さんの本棚』という本の文章の中で解説されていると思いました。
そのまま引用(の引用)をさせていただきます(太字は私による)。
(原著は読んでないです…ごめんなさい。)

fujipon.hatenablog.com

小川洋子河合隼雄先生とお話しした時にうかがったのですが、病や心の苦しみを抱えてカウンセリングに来る人たちは、自分の身に起こったことを必然にできない。いろいろな過去を、これは起こるべくして起こったとは思えない。後悔を昇華できないんだそうです。

平松洋子:そうしてあの時にこういうことをしちゃったんだろう、どうしてあの時にこうしかできなかったんだろうということに、とりこまれていくということですね。あの身を苛まれるような苦しさは、逃げ場がなくてつらい。

小川:すでに起こってしまったことを、あれは必然だった、必要なことだったと思うためには、自分にある意味嘘をついて、物語にして昇華しないといけない。それが出来ないと病んでしまうんですね。

平松:ただ、あれは必然だったと自分の中でおさめていくにも、やはりエネルギーが要る。認めていく、肯定していく力。それを生きる力と言ってもいいのだけれど、何か前に向かっていく力を持つことは大事ですよね。自分をせいぜい、たかだかだなと思いつつ、まだ自力でわかっていない、何か知らないものがあるんじゃないかと目を向けていく。自分ひとりで出来ることって本当に限られていると思うので、そこで誰かと一緒にいてもいいし、仕事でも何でもいいんですけど、そうすると自分の中に自分でも思っていなかったようなものがふっと開く瞬間がある——生きる力って、出会う力でもありますね。

まだ過去を「必然」とまでは思えませんが…。


とにかく、自分の物語を紡ぐのは、自分です。

自分を信じて、自分の未来を良いものにするために、そして大切な人たちと楽しく幸せに生きていくために(村上さんの言う「善き物語」ということかもしれません)、これからも自分の人生という物語の中を、しっかりと歩み続けたいと、思っています。


はあ、なんだか、自分にとって大事なこととか、辛かったこととかを一気に書いて、今、ドキドキしています。
なんだか泣きたい。ふう。