投げっぱなしのコミュニケーション


投げっぱなしで気にしないこともできないし、かといって、すべてのボールを拾って、投げ返すほどの体力もなくて、だから今は、すべてにおいて、クローズドな感じでいる。

妊娠9ヶ月ももう後半で、お腹がどんどん大きくなっていく。動くとお腹が張って苦しいけど、動かないととても退屈。でも、産科からゆるめの自宅安静指示が出ているので、やっぱりできるだけ動かないほうがいい。産まれる前に、ちょこちょことやりたいなと思っていたこと(医療費控除のための資料をまとめる、7月の旅行のアルバム作る、お下がりでもらったチャイルドシートとかをきれいにするなど)なんて、なんかもうできそうにない、座りっぱなしの作業もきついし、何よりやる気が起きない。赤ちゃんの服の水通しもまだできてない、晴れた日に布団や大量の洗濯物を干すだけでだいぶ気持ちがすっきりしそうだけど、そういう作業ももう、できそうにない。

もう少し、できるだけお腹の中にいてね。肺が完成するまで、あとちょっと。でも本音は、もう産んじゃいたい気持ちもあるよ。どんどんお腹が大きくなって、胃がせりあがって、苦しくて。

私はあと1ヶ月くらいだからまだいいけど、切迫で半年入院とか、それまで全くの健康体だったのにいきなりそんなことになってしまった妊婦さんは、ほんとうに大変なんだろうなあと思う。そんな世界、知らなかった、今まで。妊娠初期の不安や、つわりがあんなに辛いのも知らなかったし、33週まで大きなお腹で働くとか、私だったら張りが頻繁になってしまってきっと難しかったし、こんな風にただ横になって、一見だらだらしてるだけみたいな心の中で、早産の不安と戦っていることも。安定期は元気で、たくさん楽しいことをできたので、それはよかったなあ。

遠くにいる夫と毎日電話する。夫は新しい環境、外人だらけの、独居房みたいなとこで暮らして、毎日英語の授業を受けて、くたびれてる。不安だよね、疲れるよね。でも自分が選んだ道だよね。って言いたい気持ちを、がまんする。そんなこと言われたって、やる気をそがれるだけで、なんの励ましにもならないよね。

横になってスマホばかりをいじっていたら、腱鞘炎気味になってしまって、姿勢が難しくて本も読みづらいし、もうテレビ見るくらいしかないけど、テレビがつまらない。来月からAmazonプライムの本会員になるから、そしたらいっぱい動画見られるかな。真田丸だけは見ていて、毎週泣いてる。ついに昨日パパが死んじゃって、今日もその寂しさを引きずってる。この1年、毎週わくわくしながら、真田丸を楽しみにしてきた。終わったら、それに代わる存在がまた、出てきてくれるのかしら。子育てでそれどころじゃないかしら。

胎動はドカドカ、すごい。大きめの気がするし、きっと元気な子が生まれてくる。そうであることを、願ってる。早く会いたいな。

里帰りの日


里帰りの日、私は夫が運転する車の助手席に乗って、夜の高速道路を走っていた。私は車のことをよくわからないのだけど、SUV車というのだろうか。後部座席を全部倒すと、トランクとの間に仕切りがなくなり、荷物をたくさん入れられる。事情があって1年間実家にいる予定なので、持って帰る服やら何やらの段ボールが、車にはたくさん詰め込まれていた。妊娠8ヶ月を過ぎた頃から、急に体が重たくなって、しかも子宮口が少し開いているからできるだけ安静に、と健診で言われてしまったものだから、私は動いたり、重いものを持ったりを避けている。荷物を詰めるところまでは、ふうふう言いながら何とかやったけれど、その移動や積み下ろしは全部夫がやってくれた。ありがたい。

車に繋がっている古いipod classicは、私が10年前くらいに買ったやつだ。まだ何とか動く。その中には夫好みの音楽はほとんど入っていないのだけど、車に乗る時はいつも気を遣って、運転する夫の好みに比較的寄り添える音楽を選んでかけていた。でもその時は、自分が聞きたい音楽をかけたいなあ、と思って、ふと懐かしくなって、ある時期にとてもよく聞いていた、RCサクセションのsoulmatesというベストをかけた。

初めはだまってキヨシローの歌声に耳を傾けていたのだけど、トランジスタ・ラジオが流れてきたら、ついつい口ずさんでしまう。平易な言葉遣いなのに、なんて素敵な歌詞なんだろう。でも、平易ではあるけれど、言葉の使い方も、歌の歌い方も、シャウトのしかたも、全部が全部キヨシローでしかない。キヨシローはいつだって、完璧にキヨシローだったんだなあ。ふとそんなことを思う。

夫としばらく離れて暮らさなくてはいけないこと、頭で納得はしているけれど、やっぱり寂しくて、何となく、ヒッピーに捧ぐが聞きたかった。そう、ほんとうは最初から、この曲が聞きたかったんだ。

「お別れは突然やってきて
すぐに済んでしまった
いつものようななにげない朝は
知らん顔してぼくを起こした」

これもまた、なんて素敵な歌詞なんだろう。キヨシローが亡くなった日、友達がツイッターで、今泣きながらこの曲を聞いてる、ってつぶやいてたことを思い出す。私もこの曲をきいて、この寂しさの中にどっぷり浸かりたいって、思っていたのだけれども、なんだか音源の音が悪くて、曲の最後のほうはゴチャッとした感じに仕上がっていて、何を歌っているのかもよくわからない。もうちょっと丁寧に録音してくれよ、とかえらそうなことを思ってしまい、どうにも浸りきれないのだった。

アルバムの最後の曲の、雨上がりの夜空にのイントロが流れてきたあたりで、海老名サービスエリアについた。その頃にはすっかりと気持ちは現実に戻っていて、トイレに行って、夫用のコーヒーを買って、東京まで、もうひとがんばり。

1年間勤めた職場のこと


 パートで1年間勤めた職場を辞めて、そろそろ1週間になる。生活にめりはりがなくなって、何となくぼんやりと過ごしてしまう。前、働いていなかった時は、何をしてたんだっけ。ジムとか行ってたな。今、行けないからなー。里帰りまであと1ヶ月ちょっと、やることは色々あるはずなのだけど。

 勤務の最後のほうは、出社する度に心の中でカウントダウンしては、寂しくなっていた。産休制度もあるし、できるならこのままずっとここで働きたかった。でも夫の仕事がこれからどうなるのか、この先どこで暮らしてゆくことになるのか、まだ見えないから。いつかこの街に戻ってくる可能性もなきにしもあらずで、そうなったらまたこの会社の求人を見てみよう、なんて思ったりする。

 そんな風に思うくらい、いい職場だった。たぶんもっと長く勤めたり、もっと責任のある立場だったりしたら不満も出てくるのだろうけど、びっくりするくらい何の不満もなくて、仕事の内容も、一緒に働いている人たちのことも好きで、楽しく働いた1年間だった。

 退職した日は、月に1回の会議の日だった。一緒のチームの人たちが全員出社して、担当の社員さんも来る日だから、シフトを作っているリーダーが、最後の日をその日に合わせてくれたのだ。会議の終わりに、みんなに向けて退職の挨拶をした。先月、同じように妊娠して退職した人がいて、挨拶をすることがわかっていたので、その日は朝から頭の中でずっと、なんて言おうかな、って考えてた。

「みなさん本当に親切で楽しい方々で、私自身もとても楽しく働くことができた1年間でした。至らないところもたくさんあったと思いますが、本当にお世話になりました。ありがとうございました。」

平凡だけど、そんなようなことを、みんなの顔を見ながら話したら、一人の人が、「ちょっとうるってきちゃったよ。」なんて後で言っていて、私もちょっとうるっときた。

 午前中いっぱい会議で、普段なら半分くらいの人は午前だけで帰るのだけど、その日はみんなお昼ご飯を持ってきて、送別会を開いてくれた。そのまま、会議室の大きな机を囲んでご飯を食べた。デザートにプリンも用意されてた。私も最後のお礼として、アンリ・シャルパンティエのフィナンシェを買ってきていて、みんなに配ったけれども、なんか値段のわりにちっこいのよね、アンリのフィナンシェ。おいしくて使い勝手がよくて、大好きなんだけど、今回ばかりは、もっと大きいものを買ってくればよかったなあ、とか思った。私の気持ちの大きさに足りないってゆうかさ。その後、個別でもちょこちょこと送別のプレゼントをもらったりして、うれしくて、申し訳なくて、ますますそう思った。最後のお昼も、いつもみたいにたくさん笑った。話題は、「夏休みの宿題、いつやるか問題」「エレベーターでおならする人」など。
 
 午後の仕事はどうにも上の空だった。でもあっという間に時間は過ぎ去って、身の回りのものを片付けて、社員証も返して、再び最後の挨拶。シフトによって退社時間が違うから、まだ仕事中の人もいるんだけど、立ち上がってみんな見送ってくれた。リーダーの人が、「なんか寂しいねー。」って言ってて、なんか、わりとほんとに寂しそうで、働いたの、たった1年だけだったのに、そんな風に言ってもらえてありがたいなーって思った。私もほんとうに寂しい。

 実は、在宅でも細々とこの仕事を続けられそうなので、ご縁はまだつながっている。育児で休み休みになってしまうだろうし、お金はだいぶ安いけれども、細く長く、これからもつながっていけたらなあ。と思う。


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 以前、正社員として働いていた職場を辞めた時、私はどこか心の中にわだかまりを残していて、それはその職場で色々な失敗をしてしまった、という後悔があったからだった。その反省があって、今回は、失敗しないようにしよう、失敗しないようにしよう、とわりと用心深く働いていた。その自分の心がけの結果、今回はこんな風な気持ちで退職することができたので、よかったな。前の失敗を、少しだけ取り戻したような気持ち。人生ってこんな風に、新しい環境に飛び込んでみれば、以前失ったものをまた、取り戻す機会がめぐってきたりするものなんだろうな。

 ボロを出さないように、とあまり話しすぎないようにしていたこともあり、最初のうちは、自分を出せない、という感じもあった。でも、別にそれはそれで構わないっていうか、そういう状態にも慣れるし、少しずつコミュニケーションを取ってゆくうちに、言葉の端々や、体の動きなんかから、自分の欠片みたいなものはポロポロとこぼれ落ちてゆくもので。いつの間にか、その中でのキャラみたいなものも、何となく形作られてたなあ。それをそのまま受け入れればいいんだな。

 こういう色々な感慨も、きっと通り過ぎたら、薄まってしまう。でも、忘れないようにちゃんと記しておこうと思った。色々な学びのあった1年間だったな。

これまでのブログの振り返り(自選集)


 もうすぐ妊娠7ヶ月目に入る。もっとブログを書きたいなあと頭では思うけど、目の前の生活と迫り来る未来のことでいっぱいいっぱいで、なかなかその気にならない。子どもが生まれたらますますそうなるんじゃないかと思うし、書いても育児的な内容ばかりになる気がする。そうなったらブログを分けるかもしれない。

 子どもが生まれる前に、備忘録として、不妊治療的な経験についてと、妊娠中の生活についての総括は書きたいなあと思っているんだけど、その前にふと、これまでに書いたことを振り返りたくなった。

 ので、今回はこれまでのブログの自選集的なやつです。自分で書いたもののなかでわりと気に入っていたり思い入れのあるものを選んでみた。2015年の2月にブログを書き始めて、今現在で125記事も書いている。わー。(「エントリ」って呼ぶのなんかはずかしいので、記事って呼びますね。)


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初めて腰を据えて自分のことをがっつりと書いた記事。(冒頭の「村上さんのところ」リンクきえてるけど…)書きながら涙がぽろぽろでてきたのを覚えてます。チクリと棘が刺さっているみたいに、自分の中でずうっと引っかかっていた会社員時代の経験を、前向きな思いで塗り替えようと思って書いた。そんな風に人は自分なりの物語を紡いでゆくのです。



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今週のお題」に則って、何となくさらさらと書いた記事だったのだけど、今読み返してみると、春になるといつも感じるあの微妙な気持ちを、我ながらわりと的確に文章でつかまえられているなあと思った。こういうのって、書こうと思って書くとなかなか書けないのよね。



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人に何気なくかけられた言葉が、その後の自分の人生にずっと残っていたりすること、あると思うけど、そういう言葉のうちのひとつについて書いた。これも「今週のお題」に則って書いたのだけど、与えられたテーマでとりあえずって感じで何か書き始めてみると、うすれていた思い出や、思いがけない言葉がぽろぽろとこぼれてきて、自発的に書くよりも発見が多かったりした。



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ブログを書いている理由とか、言葉や文章や表現についての思いとか。断片的で、あまりまとまっていませんが。



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わりとこういう風に、自分の心内文をさらさらさらーと書くのが好きです。外側では何も起こっていないようでも、自分の心の中では、日々色々な思いがわき起こっては消えていく。おぼえているうちに書き留めないと、すぐに忘れてしまうようなとりとめのない思い達です。



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夫の男性不妊が発覚した時の、率直で純粋な気持ちを書いたもの。The Flavor of Lifeきくと、いつも泣いちゃうよね。


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結婚生活についての、わりとポジティブな思いを書いたもの。


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不妊治療といえるほどかはわかりませんが、そういう期間を経て、妊娠したかもしれない、という報告の記事です。気恥ずかしさもあり、直接関係ない話題ばかりを書いてみて、最後にちょこっと。


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 以上です。

 自分の文章を読み返してみると、人生の色々な段階の思いが切り取られていて、面白い。中には未熟で目を背けたいものもあるけれど…。やっぱりこれからも細々とでいいので続けていきたいな、ブログ。がんばろう。

シンプルな力強さ(ハンバートハンバート「FOLK」)


 最近ハンバートハンバートの「FOLK」ってアルバムを買った。

FOLK(初回限定盤)

FOLK(初回限定盤)


 ハンバートハンバートの音楽は、朴訥とした明るい歌声と調べにのせて、ただただ悲しいだけのことを歌っていたりして、(明るい曲もあるけれど、私が初めて聴いたアルバムが「まっくらやみのにらめっこ」だったから特にその印象がつよいのかも)、そういうところが好きだったりもしたのだけど、今回のアルバムにはそういう感じはなかった。シンプルで潔く、力強い曲たち。それはそれでまた、とてもよかった。

 今月初めに「頂」っていう静岡のフェスに行ったのだけど、ハンバートハンバートも出演していて、夕暮れから夜にかけての時間帯で、明かりを消したステージにキャンドルをたくさん灯して、お客さんはみんな座って聴いていた。(「キャンドルステージ」っていう企画だった。)


 ハンバートハンバートのパブリックイメージは、ほっこり系、今回のようなキャンドルを灯したステージで、お客さんがシャボン玉とか吹いちゃうような、そんな感じなのかもしれなくて、(ステージはめちゃよかったけどね!)(あとはアセロラ体操の歌のイメージも強いかもね)、でも佐藤さんは、それを今までなかなか受け容れられなかったのかも。と、このインタビューを読んで思った。

ハンバート ハンバート「FOLK」インタビュー (6/7) - 音楽ナタリー Power Push

 でも、べつにいいじゃん!それはそれで、ドカンとやっちゃえばいいじゃん!みたいな、よい意味での開き直りが感じられるアルバムだったと思います。


 何せ私も、このアルバムを聴いてたら久しぶりにギターを弾きたくなった。海外赴任に帯同した時に、むこうで退屈したら練習するかな、と思って、小さな安いアコギを買ったのだけど、今まで数えるほどしか触っていなかった。まあもともと大したモチベーションもないからしょうがないんだけど、いわゆる「弾き語り」みたいなので、弾きたいなーって思える曲も思い浮かばないなかったんだよね。な、長渕とか?ないない…みたいな。

 だけど初めてくらいに、コレコレ!こうゆうのやってみたい!って感じがしました。親切なことに、アルバムの歌詞カードには全曲コードが掲載されている。まあ、実際に練習するかはわからないけどね!


 ちなみにこのアルバムは、12曲中5曲がカバー曲なのだけど、その中の「N.O.」という電気グルーヴの曲の原曲を知らなかったので、探して聴いてみた。


N.O. - ハンバート ハンバート


Denki Groove - N.O. [Live at FUJI ROCK FESTIVAL 2006]

 何コレめちゃかっこいい…!このフジロックの動画、最高すぎる…!!思わずひとりで踊ってしまった。おはずかしい。動画をPCの全画面表示にして、部屋を暗くして踊ると、フェス気分に浸れます。